小説における会話表現の変化

現実の会話はキャッチボールだが小説の場合は違う。キャッチボールみたいな小説を書いていないか? という記事。愛・蔵太氏は一般論として書かれているわけですが、小説における会話の表現の進化というか変化というのはなかなか興味深い問題です。

近代小説が生まれたのは18世紀のイギリスですが、このころの小説、まあ、スウィフトとかデフォーの小説には会話ってあまりありません。作品全体が語り手の回想録で、会話はその回想の中で語りに組み込まれたりします。たとえば『ガリバー旅行記』のこういう書き方。

王は、また、私がわが国の人口をはじき出すのに、いくつかの宗派別、政党別にそれぞれ数を出し、さらに総計を出したのに対し、ずいぶん妙な算術(事実、そう言われたのだ)もあったものだ、といって大笑いをされた。

「私が「わが国の人口はカトリックが何人で……」というと王は「妙な算術もあったものだ」といって大笑いをされた」というようには書かないわけですね。会話も語り手の語りの一部であって、そこから独立したりはしない。

19世紀ぐらいの小説になるとだいぶ様子が変わってきます。このぐらいの時期の小説に特徴的なのは、長文をひたすらにやり取りするところ。ドストエフスキーの作品などは非常に典型的ですが、話し始めたら延々と喋り、それを受けた人間がまた延々と喋る。『カラマーゾフの兄弟』から引用します。

「奥さん」ミーチャがさえぎった「今のわたしに考えられるのは、自分が絶望的な状況に落ち込んでいて、もし奥さんに助けていただけなければ、何もかもぽしゃってしまう……熱病にかかっているんです……」
「存じていますわ、あなたが熱病にかかっていることは存じています……本当のことを言って、わたくし経験豊かな魂の医者なんですの、ドミートリイ・フョードロウィチ」

長いので途中を省略していますが、会話はまとまった文章の交し合いです。blogのコメント欄でのやりとりみたいな感じ。たとえば、上記の会話は実際は「「奥さん」とミーチャがさえぎると「何ですの」とホフラコワ夫人と答え、それに対してミーチャは「今のわたしに考えられるのは、自分が絶望的な状況に落ち込んでいて」といいよどみ、それに対して夫人は「そうなんですか」といい……」とかいう風に多分なされているわけですよ、現実ならば。もちろん、当時の人たちがいいよどみなどなく長話のやり取りをしていたということではなくて、合いの手を入れたりうなずいたり突込みを入れたりといった描写を省いて会話が表現されている、ということです。編集者の目を通して会話が書かれているわけです。

んで、現代の小説。会話をありのままの形で書き出すというのが基本。ヘミングウェイ『武器よさらば』から引きます。

「前進よりも退却のほうがいいですね」とボルネロが言った。「退却のときは、バルベラ酒が飲めますからね」
「いまは酒を飲んでいるが、あしたは雨水を飲むことになるぞ」とアイモが言った。
「あしたはウーディネのはいってるさ。そして、おれたちはシャンペンを飲んでいるだろう。あそこは怠けものの住むところだ。起きろ、ピアーニ! あしたはウーディネでシャンペンだぞ!」
「起きてるよ」ピアーニが言った。彼は皿にスパゲッティと肉をいっぱいとった。「トマト・ソースは見つからなかったのかい、バルト?」

これは複数人の対話の場面なので上の二つの例とは少し違いますが、基本的にはずっとこの調子。短い発言のやり取りを延々繋げることで会話が表現されます。これは大体現実の会話そのまんまといった面持ちですね。話が平気で斜め上のほうにそれていくところなどもリアル。

このような会話の表現のされ方の変化というのは、もちろん、一人称の回想録から始まった近代小説の語り方が徐々に洗練されていった、というのもありはするんですが、小説の表現技法の変化として考えることができます。回想録における一人称の語りというのは作品に書かれた出来事が全て終わった後でなされるものなので、会話がなされた時点とそれを書き起こす時点に、時間的な距離があるわけです。だから語り手はなされた会話を要約して物語の中に組み込む。19世紀的な三人称小説は因果関係の糸を結びつけることによって成立しているので、会話においても因果関係がわかりやすいように省略し編集して会話が表現される。そして現代の小説においてはリアリズムの徹底ということで、物語内容の時間と物語言説の時間が一対一に対応するような書き方、ようするに起こったことをそのまま垂れ流す表現が登場するわけです。いわゆる「意識の流れ」なんかと同じ問題意識。というか、「現実の会話はキャッチボールだが小説の場合は違う。キャッチボールみたいな小説を書いていないか? 」というよりもむしろ、現実の会話は実はあまりキャッチボールしていない、という観察に基づいたところに現代小説の会話の書き方があるわけです。