フィギュア萌え族の恐怖、あるいは「萌え」とは何か

青ひげノート - アニマの宿らないフィギュアという記事。まあ、ネタ記事に素で突っ込むのはアレなんですが、

人間の形のものにアニマ(霊魂)が宿るのだとしたら、萌え系の可愛いものに宿っても不思議ではない。
顔の赤らみ具合が変わっていたり、スカート隙間からお汁が垂れてきたり。
演出はオタに媚びたものであれば、供養する必要はない。

萌え系のフィギュアにおいて人形に宿る魂というものが、オタクに媚びたものとして想定される話の流れが色々とアレ。普通、人形に魂が宿るとかいう怪談の類において、その魂というのは端的に人間の側からは理解できないものです。まあ、だから恐ろしいわけですね。その場合、人形は他者として、異質の存在として扱われるわけですが、このオタクに媚びる萌え系フィギュアの内面というのは、他者ではなく、オタクの自意識の延長に過ぎない。言い換えれば、萌えフィギュアには自分に媚びた内面を持っていて欲しい、というオタクの欲望が投影されているに過ぎない。そこには他者が存在しない。

この他者の内面の存在をはじめから考慮に入れず、空虚な器に自らの欲望を投影して喜ぶ態度こそ、「萌え」の本質でしょう。そのため、『下級生2』の騒動のときのように、対象が自らの欲望にそぐわない内面を持っていることが明らかになると、基地外のように怒り狂うわけです。

まあ、フィギュアはただの人形だし、というのはあるんですが、それに関連してこういう記事。萌えと虚構と、このlaiso氏の記事を扱ったREVの日記の記事。laiso氏の

例えば自分の好きなアニメのキャラが「自分のことをどう思っているのだろうか」とかは微塵も思わないでしょう。「萌え」という概念のそういう歪んだところは大好きだなぁ。

という指摘は、萌えキャラの内面がそもそも想定されていないという私の考えとまあ同じでしょうかね。虚構の人物なんか多かれ少なかれ似たようなものだというのは、まあありますが。