ブリコラージュ、あるいは個人サイトとweb 2.0

わりきりったシンプルさで、手軽に使えるツール・サービス。BubbleShare, Yahoo! Open Shourtcutsのこんな記述、

SNSとか、リピート率が高い重量級のサービスも話題ですが、こういう手軽なツールを、色々と使い分けるのも新しいトレンドのような気もしますね。

を見て思いついたというか、最近書こうと思っていたことなんですが。weblog以前の個人サイト、まあ、うちなんかは典型的にそうなんですが、そういうサイトは、基本的に際限なく改造され付け加えられ企画が削られまとめられたりしていきます。bmp_69も、レビューのページの構造を弄ったり、バックリンクランクをつけたり、サイト内検索を置いたり、movable typeを設置したりしていて、様々な要素のつぎはぎ状態。ほとんどフランケンシュタインの怪物みたいな感じです。そういう状況というのは、個人サイトではごく当たり前に起こる出来事です。どんどん新しい要素をくっつけたり、飽きたらやめたりして、欲望の赴くままに際限なく肥大していく。

ありあわせの持ち物でテキトーにひとつのまとまりをでっち上げる「日曜大工」的な仕事をレヴィ=ストロースはブリコラージュと呼びましたが、個人サイトのあり方というのはまさにそんな感じ。手持ちの道具やら拾ってきたCGIやらをつなぎ合わせてまとまった形らしきものを作り上げる。そして、何もかも自分の領域に包摂しようとする。んで、そういう感じの私から見たら、はてななんかもそうでしょうが、今回引用したようないくつものツールやサービスを使い分けるというのは、何か新しいというか、intertextualだなぁ、という感じはしますね。んで、私はそういうのがweb 2.0なのかとか、思ったり。

サービスの束としての個人=text。断片にされることで、逆に個人の全体性が回復される、ということがあるのではないか、と私は最近思っています。weblogとか、しばらく前に騒ぎになったはてなブックマークの問題なんかはそうですが、サイトは基本的に記事単位、ひとつのブックマーク単位で読まれる。そのような状況は、記事ごとの差異とかジャンルの違いはそれほど問題にされません。どうせ、興味がある記事以外は読者は読まないし。だから、個々のユーザーは個人サイトのコンテンツにおけるよりも、かなり幅の広いジャンルをひとつのサイトあるいは、個人のブックマーク内に含むことが出来る。関係ないところは読まないでしょ、それならば勝手にやる、というわけです。それはまさに、家としての、privateな空間としてのweb siteの再来でしょう。weblog時代になぜ無断リンクやネットの匿名性が騒ぎになるのか、というのはその辺に原因があるのでしょう。だから、Web 2.0と個人ニュースサイトでまなめ氏が心配されているような

すべては情報を便利に使うためだけのシステムが整っていくのではないだろうか。ソーシャルブックマークを集団知と呼ぶ所以もそこにあり、またそこには個人というものを非常に感じ難いものとなっている。

という状況とは正反対の、ほとんど肉体的と読んでもいいような現象が、断片化と同時というか断片化のために起こっているような気がしています。