『ひまわり』が「ロリっ娘宇宙人同棲ADV」である理由

『ひまわり』(ぶらんくのーと)が紹介される際に、「ロリっ娘宇宙人同棲ADV」というサブタイトルからは想像できない作品だとか、そういうことが言われることがよくありますし、実際に私も同じ趣旨のことを書きました。しかし、『ひまわり』が「ロリっ娘宇宙人同棲ADV」としか呼びようのない作品であることもまた事実なのではないか、というのが今回の記事の趣旨。思いっきりネタバレありなので気になる人は注意してください。

まず、『ひまわり』はどのシナリオも男と「ロリっ娘宇宙人」が同棲して心をふれあわせる話であるという即物的な事実があります。陽一とアリエス・アクア・明香の組み合わせ、過去編では大吾とアクアの組み合わせ。作中ではTipsでしか描かれませんが陽一とアオイもまあそうでしょう。とにかく、どのシナリオでも彼らが一緒に生活をすることによって心を通わせていくというのが物語の本筋となっています。『ひまわり』はSF作品なのでルナ・ウィルスとかスペースコロニーとかありますけど、「ルナ・ウィルスをどのようにして滅ぼすのか」といったようなSF的な要素自体が物語の主題となる展開はありません。

もちろんSF的な要素自体が物語の主題になっていないから本格的なSFとはいえない、ということは全くありません。むしろSF的な要素を物語の主題とするのはSFであることを自己目的化した一種の転倒なのであって、本来的にSFというのは一般的な主題にSF的な想像力を持ち込むことで主題を異化するものだということだって出来るわけです。他者についての問題というのが『フランケンシュタイン』では人間と怪物になり『ソラリス』では人間と原形質の海のごときものになったりするわけですね。主題が本質的に孕んでいる要素をSF的な想像力は活性化し過剰にさせる。

その点において、『ひまわり』は間違いなくよくできたSFであるということが出来るでしょう。過去編の大吾とアクアの物語はぶっちゃけた書き方をすれば、初恋の相手を忘れられないオッサンに惚れてしまった世間知らずの少女が失恋する話です。そのようなどうでも良さそうな話がSFの要素を注入すればどのように化けてしまうのか。初恋の相手を忘れられないオッサンは人類で初めて月の裏側に立って生還した世界的な英雄であり、初恋の相手の生死を確かめるためにスペースコロニーにまで乗り込んでくる。世間知らずの少女はオッサンの初恋相手の卵子と人工子宮で造られた宇宙生まれのロリっ娘で、彼女の記憶を受け継いでいる。そして彼らの心のスレ違いはオッサンが彼自身がかつて月で拾ってきたウィルスに感染した症状で記憶をなくし、少女を自分の初恋の相手と混同したまま月の上で死ぬことによって表現されるわけです。

しかし一方で、『ひまわり』においては物語の中で時にSF的な要素が平然と無視されるというか、あえて描かれないことがあります。アクアには薬の中毒症状があるのでアクアエンドでは陽一のRNAというか血を毎日摂取しなければならず、さらにそのたびにアオイの記憶が流れ込む羽目になっているはずなんですが、作中では2年前の事故の真実を語る際のきっかけとして軽く一度語られるのみです。似たようなことはもちろん明香エンドでもいえます。彼女は明香里の娘で眼も赤いのでルナ・ウィルスの受容体も普通に持っていると考えられるので、彼女も陽一とセックスをすることで感染していて、当然アオイの記憶が流れ込んでいるはずです。しかし、それも作中では描かれない。彼女たちにとってアオイは恋人の昔の女なので、その記憶が流れ込んできても嬉しいはずなんかもちろんない。そもそも、他人の記憶が流れ込んできて嬉しい人なんか普通にいない気がしますが、過去を乗り越えてきた彼女たちにとってアオイの記憶というのは過去の呪縛そのものであり拷問以外の何者でもないといっても過言ではないはずです。しかし、それは描かれない。

そこで考えてみれば、よくわからないまま放置されているというか、そういう解釈で本当にいいの?と首をかしげたくなる場面が『ひまわり』ではたまにあります。たとえば、宗一郎が混ぜ込んだはずのバグを記憶を失ったアリエスが再現してしまった理由、あるいはアオイが見た夢や壁に書かれた血文字の話。アリエスが記憶を失ったのは本当に着陸時の衝撃が理由なのかとか色々勘ぐりたくなる場面なんかもあります。しかし、それらが追求されることはやはりなく、「ロリっ娘宇宙人同棲ADV」として必要のないと思われる要素は時にあえて放置される。

言うなれば、『ひまわり』という物語はある種のフィクションなのです。それは『ひまわり』において描かれている人物が存在しないとか『ひまわり』が作り話であるといったような一般的な意味ではなくて(もちろん、そういう一般的な意味でも『ひまわり』はフィクションですが)、『ひまわり』の世界内で当然起こっていると思われる出来事やSFならば当然放置できない要素があえて伏せられたままハッピーエンドへと繋がっていくある意味とてもエロゲー的なやさしい嘘。それこそが「ロリっ娘宇宙人同棲ADV」と題された意味なのではないでしょうか。ついでにいえば、明香編の最後に出てきたコスモスのエピソードは、『ひまわり』が「ロリっ娘宇宙人同棲ADV」であるために隠していた現実の象徴ですかね。象徴界の裂け目とかラカンかぶれなら言うかもしれませんが。

(2008/06/07)

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