オタクには物語が必要だ

なぜオタクはニコニコ動画を語れないのかとかコメント衝動とかニコニコ動画の話なんですが、一言で端的にまとめるとタイトルの通り、オタクには物語が必要だという話。

まあ別に、物語が大好きだというのはオタクに特有の現象ではありません。自分に都合のいい物語を求めるのが人間の性というやつだというのは歴史や政治・宗教などを巡る議論などをみても明らかなわけですし、商品の宣伝なんかをする際には、その商品を買った後に訪れるであろうライフスタイルという物語を提示するというのは基本中の基本。それはもちろんポップミュージックの世界でも当てはまるわけですね。テレビCMやドラマのタイアップ曲などは、それらに採用されることで認知度が高まるというのと同時に、テレビCMやドラマの物語を楽曲に結びつけさせようともしているのです。

そう考えると、オタクが物語好きなのは別に珍しいことではなく、萌えや声優のブームなんかも一般的な宣伝戦略をオタクに適用しただけのものでしかないと考えるのが至極常識的です。またオタク文化内においてもフィギュアなんかは原作を全然知らない人が平然と買ったりします。またキャラクターの人気が出れば出るほど元の物語から独立していくという傾向も一般的ですし、幼なじみとかツンデレみたいな記号化した属性はそれらの属性への前提知識以外の物語が無くても消費されます。エロゲーキャラなんかは発売前どころかあらすじ発表前からキャラ紹介のみによって盛り上がったりするわけです。まあそれでも、オタク文化はアニメや漫画やエロゲーみたいな物語を中心としたものなので、物語への指向性が強いということぐらいはは出来るでしょう。

そこでニコニコ動画の話なのですが、ニコニコ動画にも物語が大好きなオタクが当然たくさんいます。彼らの行動のきわめて典型的な例は言うまでもなく初音ミクにまつわる現象です。元々キャラクターの画像と名前が与えられているDTMソフトでしかないのにありとあらゆる物語やネギが彼女に供されています。対象に物語が存在しない場合は、物語を作り出してでも間隙を埋めようとする。さらに興味深いというかオタク的なのは、それらのいうなれば物語化の傾向を解体してやろうという現象も同時に見られるということです。その典型例はもちろん二代目ボーカロイド鏡音リンのロードローラーによって与えられているわけですね。もちろんロードローラーも物語を分泌しまくったわけですが、鏡音リンのたとえば『ココロ』と『逆襲のロードローラー』を並べて聴くととても感慨深いというか何というか。

またきわめてぶっちゃけた話、誰それ萌えとかblogや2chや今や懐かしい叫び系テキストサイトで書き散らすのとニコニコ動画で弾幕を張るのは何が違うのかという話はありますね。シャア専用コタツ氏は

流れている音楽の作詞・作曲は誰だとか、このキャラにはこういう設定があるんですよ、と言った長ったらしいコメントはそれほど歓迎されない。
たまに見かけることもあるが、そうした「先生役」は、「第三世代」的オタクであり、従来的な知識のひけらかしはニコ動の「空気」を読めているとは言いがたい。

と書かれていますが、実際のところ「知識のひけらかし」は昔からオタクの中でも主流では全然なかったでしょう。葉鍵ブームの時でも議論好きだったのはごく一部で、みんな何も考えずに「長瀬ちゃん、電波届いた?」とか鯛焼きとか「永遠はあるよ」とか印象的なフレーズで脊髄反射していました。ただ、ニコニコ動画と「長瀬ちゃん、電波届いた?」に違いがあるとすれば、ニコニコ動画においては物語が必ずしも介在する必要がないことぐらいでしょう。初音ミクどころかイチローでも吉幾三でもお望みならばドナルドでも何でもいいわけです。最初の話につなげるとすれば、人間は物語が好きですから脊髄反射のために物語を使うのは至極当たり前であるとしても、別に必ず物語がなければならないということは無いのですね。オタク文化において物語が必要とされるのは、単にエロゲやアニメといった物語を中心とするオタク文化のメディアとしての性質が要求するからでしかない。

最後にさくっとまとめると、物語が大好きなのは別にオタクに限ったことではないけれど、オタク文化は物語を中心にしているのでその傾向が強い。そして、ニコニコ動画でももちろん物語は愛されるけれどもごく普通に物語ではないものもネタとして使われるというところでしょう。それは別にニコニコ動画のユーザーがオタクであるとか無いとかいう話ではなくて、ニコニコ動画のメディアとしての性質が必ずしも物語を必要としないことから来る必然であるわけです。

(2008/05/16)

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