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2005年12月05日

『嵐が丘』という奇怪な小説について

『嵐が丘』を最近ずっと読んでて、まあ読み終えたんですが、かなり変てこな小説です。小説は主人公の若い男が田舎の屋敷を借りに嵐が丘の屋敷に来たところから始まるんですが、この館の主人がどうにも陰気臭い。それで、まあ、何かひどいやつだという感じなんですが、後日、また嵐が丘を訪れたところ、何かその陰気臭い男に家族がいて主人公のことを気にせず口論を始める、しかも因縁があるらしい。その日は天気が悪いとか何とかで嵐が丘の屋敷に泊まることになって、そこで何か若い女の書いた日記を発見し、ついにはその幽霊を見ることになる。そのことを話すと陰気臭い男は泣き喚き始めるので、ああ、この女の幽霊は死んだ恋人か何かなんだろう、とか思う。

ここまで、わずか50ページ。注目したいのは、この陰気な主人、ヒースクリフという人物の造型です。登場人物のイメージが、話が進むことによって変化するということは、普通にあります。何か、かわいらしい女の子だと思っていたら、何故か糸鋸を持っていたりとか、澄ましたお嬢様だと思ったら乱暴な小悪魔だったとか。読者に与える情報を小出しにすることで、登場人物のイメージが操作される。ツンデレとかもまあ、そうですが、そのくらいの単純な印象の操作ぐらいは、どんな作家でもやりますし、エロゲーライターの水準でも普通に伏線を張ったり不幸自慢させたりするわけです。しかし、このエミリ・ブロンテの仕事はちょっと異常。たった50ページの間で、ヒースクリフの印象が細かく弄られ、改定され、操作されている。そして、このあとには、いわゆる「信頼できない語り手」であるネリーが出てくるわけですよ。

impression、まあ、日本語では普通に印象、ですが、それの意味というのにひどく自覚的というか意識的な感じがします。この辺の問題は、もちろん現代小説でも重要な主題になっていて、例えばロブ=グリエなんかは一人の人間を一人の人間として一貫したものとして同定させないように、物語を断片化させたりするわけですが、こういう風なやりかたをする作家はあまりいないのではないかと。

まあ、小説としても、『嵐が丘』はべらぼうに面白い。ゴシックの影響がかなり強くあります。

コメント

『嵐が丘』は個人的にイギリス小説のなか、ベスト10に入ると思えるほど好きな小説。
語り手の問題ですが、この小説に神の視点を持つ語り手を設定されていませんが、どこか誰かにこの世界の外側から覗かれた感じはしなくもないのです。
確かにどこかで読んでいたが、姉の小説のほうは『あなた、わたし、私たち』という風に統一されたが、エミリーの小説の世界は『あなたたちの世界、私の世界』というように分裂されていました。なんとも言えないが、まるで隙間から別の異界の住人たちの愛憎劇を覗いた感じがします。

投稿者 りょう

確かにそういわれればそうですね。そもそも主人公が覗き見ですし、
ネリーのおしゃべりもいかにも外側から見ている感じ。

投稿者 bmp_69

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