2006年06月30日
『淫妖蟲 蝕』CG公開
『淫妖蟲 蝕』(TinkerBell)CG追加きましたね。期待通りというか、非常に強力です。
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『逸脱愛』体験版
『逸脱愛』(sukaradog)体験版きました。冒頭部分だけですが、まごうことなき逸脱です。
『聖騎士産卵記』体験版
『聖騎士産卵記』(ぴんくはてな)の体験版が公開されています。かなりよいですね、これは。期待できそう。
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2006年06月29日
『淫堕の姫騎士ジャンヌ』CG追加
『淫堕の姫騎士ジャンヌ』(catwalk NERO)のCGが公開されています。やはりかなりよさそうですね。
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エロゲーヲタに読ませたい現代小説10冊
不意に思いついたので書いてみます。極めてまれにエロゲーをシナリオ目当てで買うというある意味かわいそうな人がいるので、まあ、面白い小説でも、ということで。翻訳で手に入るものを選んでいます。
- 夜ごとのサーカス アンジェラ・カーター
- イギリスの女流作家の代表作。19世紀末のロンドンを舞台として、「翼」を持って生まれたブランコ乗りの女性の物語が語られます。ロンドンからペテルブルク、シベリアまで旅をするサーカス団を舞台に奇想天外なエピソードを積み上げた作品。
- フロベールの鸚鵡 ジュリアン・バーンズ
- フロベールの素人研究家である主人公が、フロベールにまつわる鸚鵡の謎を追いながら、自殺した彼の妻についての思いを語っていく、という作品。フロベールを読んだことがなくても問題はありませんが、『ボヴァリー夫人』ぐらいは読んでおくとよいでしょう。
- ピンチランナー調書 大江健三郎
- 日本人作家も入れておこうということで。革命グループ間の争いと、その黒幕である大物保守政治家の野望の物語。「森・父」という胡散臭い語り手によるSFもどきの喜劇。
- 蜘蛛女のキス マヌエル・プイグ
- 刑務所で、ホモセクシャルの男と革命家が恋に落ちる、という話。色物っぽい感じはしますが、監獄での映画などについての会話を通して、微細な心理の動きが描かれていくまっとうな恋愛小説。
- 百年の孤独 ガブリエル・ガルシア=マルケス
- マコンドという架空の村と、その創設者一族であるブエンディア家の百年の歴史を物語る作品。神話的なイメージと下世話な現実と壮絶な歴史が混交する作品。
- 雪白姫 ドナルド・バーセルミ
- 『白雪姫』のパロディと呼んでいいのかは微妙ですが。あらすじらしいあらすじも内容らしい内容もない現代を生きる白雪姫の話。軽い語り口によって煙に巻かれます。
- 覗くひと アラン・ロブ=グリエ
- 生まれ故郷の離島に行商に来た男の一日。積み重ねられる緻密な描写といかにも俗悪なSM趣味。現実と幻想を混交させながら、主人公の心理を執拗に描き出した作品。
- ロリータ ウラジーミル・ナボコフ
- 少女に魅了された中年男の話。自意識過剰で変質狂的な男による壮麗な文体。一番魅力的に書かれているのは、何気に死に別れた昔の恋人の回想だったり。最近、新しい翻訳が出ました。
- ブリキの太鼓 ギュンター・グラス
- 三歳のときに体の成長が止まった男の冒険譚。第二次大戦直前のポーランドを舞台として、即物的でグロテスクな現実のあり方を描き出しています。
- 見えない都市 イタロ・カルヴィーノ
- マルコ・ポーロが自らの見聞きした数々の不思議な都市をフビライ汗に語っていくという作品。どこにもない幻想の都市とそれにまつわる対話を通じて、小説、さらには現実の根源的なあり方を再構成していきます。
何か変な小説ばかりを集めた感じですが、現代小説は大体変なので問題はないでしょう。
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2006年06月27日
小説における会話表現の変化
現実の会話はキャッチボールだが小説の場合は違う。キャッチボールみたいな小説を書いていないか? という記事。愛・蔵太氏は一般論として書かれているわけですが、小説における会話の表現の進化というか変化というのはなかなか興味深い問題です。
近代小説が生まれたのは18世紀のイギリスですが、このころの小説、まあ、スウィフトとかデフォーの小説には会話ってあまりありません。作品全体が語り手の回想録で、会話はその回想の中で語りに組み込まれたりします。たとえば『ガリバー旅行記』のこういう書き方。
王は、また、私がわが国の人口をはじき出すのに、いくつかの宗派別、政党別にそれぞれ数を出し、さらに総計を出したのに対し、ずいぶん妙な算術(事実、そう言われたのだ)もあったものだ、といって大笑いをされた。
「私が「わが国の人口はカトリックが何人で……」というと王は「妙な算術もあったものだ」といって大笑いをされた」というようには書かないわけですね。会話も語り手の語りの一部であって、そこから独立したりはしない。
19世紀ぐらいの小説になるとだいぶ様子が変わってきます。このぐらいの時期の小説に特徴的なのは、長文をひたすらにやり取りするところ。ドストエフスキーの作品などは非常に典型的ですが、話し始めたら延々と喋り、それを受けた人間がまた延々と喋る。『カラマーゾフの兄弟』から引用します。
「奥さん」ミーチャがさえぎった「今のわたしに考えられるのは、自分が絶望的な状況に落ち込んでいて、もし奥さんに助けていただけなければ、何もかもぽしゃってしまう……熱病にかかっているんです……」
「存じていますわ、あなたが熱病にかかっていることは存じています……本当のことを言って、わたくし経験豊かな魂の医者なんですの、ドミートリイ・フョードロウィチ」
長いので途中を省略していますが、会話はまとまった文章の交し合いです。blogのコメント欄でのやりとりみたいな感じ。たとえば、上記の会話は実際は「「奥さん」とミーチャがさえぎると「何ですの」とホフラコワ夫人と答え、それに対してミーチャは「今のわたしに考えられるのは、自分が絶望的な状況に落ち込んでいて」といいよどみ、それに対して夫人は「そうなんですか」といい……」とかいう風に多分なされているわけですよ、現実ならば。もちろん、当時の人たちがいいよどみなどなく長話のやり取りをしていたということではなくて、合いの手を入れたりうなずいたり突込みを入れたりといった描写を省いて会話が表現されている、ということです。編集者の目を通して会話が書かれているわけです。
んで、現代の小説。会話をありのままの形で書き出すというのが基本。ヘミングウェイ『武器よさらば』から引きます。
「前進よりも退却のほうがいいですね」とボルネロが言った。「退却のときは、バルベラ酒が飲めますからね」
「いまは酒を飲んでいるが、あしたは雨水を飲むことになるぞ」とアイモが言った。
「あしたはウーディネのはいってるさ。そして、おれたちはシャンペンを飲んでいるだろう。あそこは怠けものの住むところだ。起きろ、ピアーニ! あしたはウーディネでシャンペンだぞ!」
「起きてるよ」ピアーニが言った。彼は皿にスパゲッティと肉をいっぱいとった。「トマト・ソースは見つからなかったのかい、バルト?」
これは複数人の対話の場面なので上の二つの例とは少し違いますが、基本的にはずっとこの調子。短い発言のやり取りを延々繋げることで会話が表現されます。これは大体現実の会話そのまんまといった面持ちですね。話が平気で斜め上のほうにそれていくところなどもリアル。
このような会話の表現のされ方の変化というのは、もちろん、一人称の回想録から始まった近代小説の語り方が徐々に洗練されていった、というのもありはするんですが、小説の表現技法の変化として考えることができます。回想録における一人称の語りというのは作品に書かれた出来事が全て終わった後でなされるものなので、会話がなされた時点とそれを書き起こす時点に、時間的な距離があるわけです。だから語り手はなされた会話を要約して物語の中に組み込む。19世紀的な三人称小説は因果関係の糸を結びつけることによって成立しているので、会話においても因果関係がわかりやすいように省略し編集して会話が表現される。そして現代の小説においてはリアリズムの徹底ということで、物語内容の時間と物語言説の時間が一対一に対応するような書き方、ようするに起こったことをそのまま垂れ流す表現が登場するわけです。いわゆる「意識の流れ」なんかと同じ問題意識。というか、「現実の会話はキャッチボールだが小説の場合は違う。キャッチボールみたいな小説を書いていないか? 」というよりもむしろ、現実の会話は実はあまりキャッチボールしていない、という観察に基づいたところに現代小説の会話の書き方があるわけです。
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2006年06月25日
『恥肛母』進行中
『恥肛母』(BLACK PACKAGE TRY)進行中。んー、やっぱり微妙。
『EXTRAVAGANZA』CG公開
BLACK CYC新作『EXTRAVAGANZA』のCGが公開されています。まだ二枚ですが、悪くはなさそうです。
2006年06月24日
『恥肛母』開始
『恥肛母』(BLACK PACKAGE TRY)開始。陵辱モノではないのが微妙というかなんというか。
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『PP-ピアニッシモ-操リ人形ノ輪舞』情報公開
Innocent Greyの新作『PP-ピアニッシモ-操リ人形ノ輪舞』の情報が公開されています。原画は前作同様杉菜水姫。今度は大正時代のミステリということで、やはり猟奇あるんでしょうかね。
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『涼宮ハルヒ』を語る三人のキョン
いつのまにか『涼宮ハルヒ』のアニメも終わりそうなので、ブームが終わる前に何か書いておこう、とか思いつつ。原作の壮絶なネタバレがあるので気にする人は注意してください。
説明する必要があるのかどうかは微妙ですが、『涼宮ハルヒ』というのはいわゆるライトノベルのシリーズで、2006年4月からアニメが始まりごく一部で何かと話題になっています。「キョン」と呼ばれる高校生の主人公が傍若無人な涼宮ハルヒという不思議パワーを持つ少女に振り回されながら非日常的な話に巻き込まれていく、という話。現在は『涼宮ハルヒの憂鬱』から『涼宮ハルヒの憤慨』まで長短編含めて8冊が出版されています。
涼宮ハルヒは世界を自分の都合のいいように変容させるという傍迷惑な能力を持っているのですが、自分ではそれに気づいていない。そのため、宇宙人とか未来人とか超能力者がいろいろな意図を持って彼女を観察しています。彼女が無意識のうちに変態能力を発揮するのを未然に防ごうと機嫌をとったり、逆に彼女に能力を発揮させて利用しようとしたり。基本的に共通しているのは、彼女が自らの能力に気づくことによって宇宙の秩序が出鱈目になるのは避けたい、というところ。
ここに、『涼宮ハルヒ』という作品の基本的な構造があります。涼宮ハルヒは世界の中心にいて全てを書き換える能力、いわば、神のごとき能力を持っているのにそのことには気づかない。一方で、彼女を取り巻く人々、まあ、宇宙人とか未来人ですが、は変容される対象である世界の側から涼宮ハルヒを観察している。彼らは基本的に現状維持を願っています。世界の全てを見通すはずの神が何も知らない一個人として行動を観察される。あるいは、世界を俯瞰するはずの神が行動する個人であり、行動するはずの人々が観察し続ける、という転倒した仕掛け。
しかし、涼宮ハルヒは世界を面白いものにしようと行動をし続けるので、外から一方的に観察するという宇宙人や未来人の立場は常に突き崩される契機を孕んでいます。その契機は、涼宮ハルヒが作ったSOS団唯一の一般人キョンの立場において描かれるものであり、また、彼が引き起こすものでもあります。
とりあえず今回は『涼宮ハルヒ』における語り手としてのキョンに注目してみましょう。『涼宮ハルヒ』はキョンの一人称の語りによって成り立っていますが、その語りも細かく見ていけば複数の語りを内包しており、この作品の基本的な構造を反映しています。
うすらぼんやりとしているうちに学区内の県立高校へと無難に進学した俺が最初に後悔したのはこの学校がえらい山の上にあることで、春だってのに大汗をかきながら延々と続く坂道を登りつつ手軽なハイキング気分をいやいや満喫している最中であった。
『涼宮ハルヒの憂鬱』第一章冒頭の一文。この文章はキョンによる過去形の語り。つまり、作中の時点からは未来にいるキョンが、県立高校に進学して「延々と続く坂道を登りつつ手軽なハイキング気分をいやいや満喫している最中」のことを思い出し、「最初に後悔した」と語っている、という一節で、『涼宮ハルヒ』という作品に枠組を与えています。語っているのはおそらく高校を卒業した後、あるいは少なくとも『涼宮ハルヒ』という作品群において語られるべき物語が全て終わった後の時点でしょう。わかりやすいのは涼宮ハルヒの自己紹介直後の一節。
結果から言うと、それはギャグでも笑いどころでもなかった。涼宮ハルヒは、いつだろうがどこだろうが冗談などは言わない。
常に大マジなのだ。
のちに身をもってそのことを知った俺が言うんだから間違いはない。
ここで語っているキョンにとって涼宮ハルヒとの高校生活はすでに振り返るべき対象であり、ぶっちゃけていえばもう終わってしまったことです。『涼宮ハルヒ』においてキョンが「物語に入った読者」であるという指摘はなぜ『涼宮ハルヒの消失』は傑作なのかなどでなされていますが、キョンの「読者性」は語りの次元においては、高校生活を振り返る視点において支えられています。思い出を振り返るキョンは物語の時間からは距離をとった存在であり、その点で読者と立場を同一にしています。また、このキョンにとって学園生活がノスタルジーの対象であるということは、『涼宮ハルヒ』がエロゲヲタを代表とするすでに学生ではない読者に受けているという点をも説明します。キョンは学園生活をノスタルジーとともに回想する視点を代表しているわけです。
しかし、『涼宮ハルヒ』はこの回想する語りのみで出来ているわけではありません。たとえば最後の閉鎖空間の場面。
閉鎖空間が拡大しているのかどうか俺は感じ取ることが出来ないし、また拡大しまくったこの空間がやがて新たな現実空間に成り果てるのかどうかも知らん。ただ、そうなのだろうと思うだけだ。今の俺は、電車で隣に座った酔っぱらいのおっさんが、「誰にも言うなよ、実はわしは宇宙人じゃ」と言ったところで信じてしまえる。すでに俺の経験値は一ヶ月前の三倍の数値くらいには膨れ上がっているのだ。
この一節はいわゆる内的独白というやつで、物語のおこっている最中のキョンによる独白をそのまま書き出したものです。涼宮ハルヒと一緒に閉鎖空間に入ったという過去を振り返りながら語るという回想する視点は鳴りを潜めている。回想する視点が物語に枠組みを与えるものであるとすれば、この内的独白は事件を経験する視点であるといえるでしょう。当事者としての、あるいは登場人物としてのキョンの視点。そのため、この語りは必然的にキョンが登場人物として何らかの選択をし決断する際によく現れることになります。
また、この作品においては時としてキョンの独白が声に出しての突っ込みと区別されないことがあります。谷口とキョンの会話を引きます。
「俺の見立てでは一年の女の中でもベスト3には確実に入るね」
一年の女子全員をチェックでもしたのか。
「おうよ。AからDまでランク付けしてそのうちAランクの女子はフルネームで覚えたぜ。一度しかない高校生活、どうせなら楽しく過ごしたいからよ」
この場面でキョンは「一年の女子全員をチェックでもしたのか」と発言していて、谷口がそれに応答しています。地の文として発話を入れる方法はキョンの内的独白と発話を結びつける効果を持ちます。回想する語りと独白は一人称の語りの中で普通に混ざり合っていますから、独白と発話がつながることによって、読者の代表として回想するキョンと作中で独白するキョン、そして発話するキョンがスムーズに接続され、読者は作中の世界へと入り込むことになるわけです。
簡単にまとめると、『涼宮ハルヒ』の語りはキョンの一人称による回想、独白、地の文に組み込まれた発話によって成立しており、それらを連続的につなげることによって傍観者としての読者は作中に引きずり込まれていきます。そして、この仕掛けは一般人であるキョンが涼宮ハルヒを観察している宇宙人や未来人の存在を知り、彼らとともに観察しつつも涼宮ハルヒの行動に巻き込まれていく、という『涼宮ハルヒ』の基本的な構造に対応するわけです。さらに、この作品と語りの構造を連動させる仕掛けがしろうと氏が祭り型コンテンツと呼ぶところの、読者に作中人物として参加することを強制する『涼宮ハルヒ』のカーニバル的な仕掛けを構成しているといえるでしょう。
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2006年06月21日
『牝姫の虜』製作告知
Gageの新作『牝姫の虜』の製作が告知されています。原画は今回もおりみや舞。Gageってまだ生きてたんですね。一発でお亡くなりになったと思ってたのに……
『肛内浸襲』体験版公開
『肛内浸襲』(A.S.S)体験版きましたね。これから落とします。
『魔法少女マナ』あらすじ公開
TOUCHABLEの新作触手モノ『魔法少女マナ』のあらすじ公開。まったくシリアスではなさそうですが、スミスミなのでまあ期待。
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2006年06月19日
電通は戦犯ではなくただ冷酷なだけ
ワールドカップをそれなりに見ているわけですが、ジーコの「テレビ局がそれを望んでいる以上仕方がない」発言の意味は?、あるいはW杯 クロアチア対日本 0-0 日本苦戦の戦犯は電通か?という記事。
まあ、普通に考えればジーコ言い訳乙、といった感じです。少なくともみっともない負け方をした一戦目のオーストラリア戦では条件は完全に同じでしたしね。商業的な理由で現地の真昼間に試合をさせられているというのも、それはそれで事実なんでしょう。ただ、当たり前ですが、真昼間に試合をして惨敗するよりも、決勝リーグに進んだほうが儲かるに決まっているので、
もし、今回日本が予選リーグで敗退したら、その一番の原因は暑さ、そして、その時間に試合を押し込んだとされるのが本当なら、戦犯は
電通
である。電通は
日本が決勝リーグに進むことよりも、自らの営業利益を優先した
のだ。これを国賊といわずして何というのだ。
ということは、ないですね。もっと冷淡というか端的で、日本が決勝リーグに進めるわけなんかないから、予選リーグのみに最適化したというのが答えでしょう。どうせ負けるのならば視聴率が取れる時間帯で負けてくれ、という話。そういう粗筋で考えると、クロアチア戦で引き分けしたのはかなりラッキーというか好都合でしょう。引き分けならば、ブラジル戦までは期待を引きずることができますから。
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2006年06月09日
ハインライン化するポストモダン
ロボットスーツ実用化へ トヨタ「自動車製造」分野向け - CNET Japanという記事。すごいですね、これは。SFの世界がどんどん近づいてます。
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アンチミステリーとエロゲー
モノーキー:テーマや伏線は意図の隠蔽とか、BLUE ON BLUE(XPD SIDE)の田中ロミオをめぐる一連の議論。物語における因果関係とかその他の話。
物語は一貫した因果関係によって成立しなければならないということを多分はじめて書いたのはアリストテレスでしょうね。『詩学』15章から引用します。
性格においても、出来事の組みたての場合と同じように、必然的なこと、あるいはありそうなことをつねに求めなければならない。それゆえ、これこれの人がこれこれのことを、必然的なこととして、あるいはありそうなこととして語ったり行動したりしなければならないし、また、これこれのことが、これこれのあとに、必然的なこととして、あるいはありそうなこととして起こらなければならない。
基本的にリアリズムの世界を生きている私たちの立場からは、アリストテレスの指摘はごく当たり前なものに見えるわけですが、実際のところ、彼が生きていた当時はそうではありませんでした。なにせ、当時はまだギリシャ神話とかの時代ですから、物語でも神様が出てきて話をかき回したり、事件を無理やり解決したりやりたい放題です。デウス・エクス・マキナ、機械仕掛けの神とかまあいいますけど、そういうのをアリストテレスは批判した。んで、近代の小説というのは基本的にアリストテレスの主張、すなわち因果関係によって物語を首尾一貫して組み立てねばならないという理屈で作り上げられている。
因果関係というのは、A氏がこう言ったから、B氏がこうやって行動し、その結果でC氏がこのような迷惑をこうむった、とかそういう作りですね。物事には必ず原因と結果があって、それは基本的に一本道でたどることができる。一番典型的なのはミステリです。現場に残された証拠なり何なりをたどることで誰が犯人なのかという結論に到達する。アメリカ最初の近代作家の一人であるエドガー・アラン・ポーがミステリの創始者であり、ドストエフスキーや夏目漱石や芥川龍之介といった心理小説の作者がミステリの仕掛けを好んで用いたことにはそれなりに理由があるわけです。つまり、リアリズム小説というのはミステリなのです。原因があって結果があり、それは因果関係の糸によって結びつけることができる。
その志向を極限まで推し進めたのがジェイムズ・ジョイスというアイルランドの小説家です。原因と結果というのは普通、一本の線によって結びついているのではないのですよね。インターネットにおけるリンクを思い浮かべればよくわかると思いますが、ひとつの出来事から複数の出来事へと因果の糸は伸びていくものであって、因果は複雑なくもの巣の糸のように張り巡らされている。近代小説の因果関係というのはそのうちから物語の主題となる原因と結果を結びつける糸だけをたどることによって成立したものであるわけです。それならば、世界の全体、すなわち複雑なくもの糸の網の目を表現するにはどうすればいいのか。答えは単純なもので、作中における因果関係の網の目をくもの巣状に張り巡らせて、現実全体と作品全体を対応させるようにすればよい、ということになる。そういう発想で書かれたのが20世紀最大の奇書『フィネガンズ・ウェイク』だ、というわけです。ネットになぞらえれば、近代小説はカテゴリ型検索で『フィネガンズ・ウェイク』はgoogleですかね。
確か『ヨーロッパ文学講義』だったと思いますが、ウラジーミル・ナボコフはそのような近代小説の極限としてのジョイスとフランツ・カフカを対峙させています。カフカの作品においては、普通は最後に提示されるはずの答えが作品の冒頭にいきなり現れる。なぜか毒虫になっていたり、超越的な存在としての「城」が何の説明もなく現れる。萌え論 : セカイ系論は、このカフカの方法を次のように説明しています。
要するに、目の前で起きた不可思議なことに対し、説明があれば「安心」できるのに、それをあえて省くことで「不安」を誘っているのである。
カフカの作品では、朝起きたら虫になっていて、そして何の説明もないまま話が進む。つまり、世界とはそういう風に出来ていて、人間では到底それを捕らえることなどできず、実は不安ばかりだ、というのがこの作品の表現しているところである。そして、その不安が、読者を惹きつける。
近代小説においては因果関係の網の目として理解できるはずの世界は、「そういう風に出来ていて、人間では到底それを捕らえることなどでき」ないものとしていきなり登場します。これがヒトとモノの微妙な関係で紹介したロブ・グリエの主張、ひいては現代文学の主要なモチーフへとつながっていく、世界は人間中心には出来上がっていないらしい、という主題です。
いつもながら、きっかけとなった議論から果てしなく逸脱してますが、最後は無理やりエロゲの話をしてみましょう。カフカについて引用した文章が「セカイ系論」であったことからもわかるように、「世界は人間中心には出来上がっていないらしい」という主題はセカイ系につながっています。逆に言えば、世界を説明する因果関係というのは「社会」が支えていたのだ、ということですかね。エロゲは何だかんだで人間関係がメインなので、世界が人間中心にできていなくても人間中心に描かれることになります。そのため、登場人物たちを社会に適合できない者やまだ社会に組み込まれていない学生にすることで、世界の非人間中心性を表現する、と。それはまた一方で世界を超越的なものとして理解することでもあるので、そこにSF・ファンタジーなどとの関連性が生じることになります。
2006年06月08日
『催眠彼女』プレイ中
今週末も特にプレイするゲームがないなぁ、とか思いつつ、なんとなく『催眠彼女』(BLACK LILITH)プレイ開始。まだはじめたばかりですが、水準はやはり安定してますね。相変わらずヒントはリードミーにあります。
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久しぶりの漫画の話。
いや、今週のネギまの展開が色々とアレだという話。さすがに今回はかなり予想外の展開ですね。本当に未来にぶっ飛んでてもアレですし、完全催眠でもなかなかアレです。ついでに今月分の月ジャンの『クレイモア』もびっくりするような展開。まさか全滅はないと思うというか思いたいですが、というか、やりかねないので困るというか。このタイミングで一ヶ月待たせるのは酷ですね。
2006年06月06日
RaSeN、Web企画公開
RaSeNのWebサイトに新しいWeb企画のページが正式公開されています。今回はまだ導入ということですが、なかなか面白そうな感じで期待。
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NANAOが液晶モニターのBTOを開始
ナナオ、世界初の液晶ディスプレイBTOサービスという記事。今のところ17inchと19inchだけみたいですが、ありそうでなかったというか、もう少しパネルの種類が増えれば面白いといった感じでしょうかね。
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2006年06月03日
色々と雑感
もう気づいている人も多いというか、見た人は気づいていると思いますが、bmp_69のトップページに貼り付けてあるBack Link、これ、リニューアルの前まではトップページにリンクを張っているサイトしか集計しないようにしていたんですが、リニューアル後、サイト内に存在するすべてのページにリンクを張っているサイトを集計の対象にするようにしています。vipネタを書いた記事が人気エントリーになったということで、早速これまでとは大きく違う結果が出ていて楽しい。googleとかYahooみたいな検索エンジンは対象にしないようにしているんですが、これからははてブやフィードリーダーの類も対象にしないようにするべきか、とか思いはしますが。
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2ちゃんねらを黙らせつつ2ちゃんねるまとめサイトで金稼ぎする方法を考えてみる
なぜVIPブログが不快なのかは2日の段階では、はてブなんかでは全然盛り上がっていなかったので、はずしたかなぁ、とか思っていたんですが、やはりこの手の話には興味を持つ人が多いんでしょう。どうせなので、今度は前回の記事とは逆にサイト管理人の立場から書いてみましょうかね。
いまさら繰り返すまでもないでしょうが、VIPブログがどんどん炎上して閉鎖してしまったという話。それならば、どうやってサイトを作れば炎上せずに金稼ぎをすることが出来るのか考えてみましょう、というのがお題。ひろゆき氏と話をつけるというのが可能ならば一番よいわけですが、今回はそれをしないで勝手に儲けるケースについて考えます。まず、前提条件を押さえておきます。
一番重要なのは、個人情報を出してはならないということです。今回の騒動は非常に典型的でしたが、whoisや過去の書き込みに残された情報から個人情報が暴露され、サイトを閉鎖せざるを得ないということになるケースはとても多いです。まあ、最初から実名を出している人はそんなことは逆にないわけですが、2ちゃんまとめサイトというのは内容的にも色々とアレですから、個人でサイトを作る際にはあまり名前を出したくないものです。ですから、基本的に個人情報につながるようなことは明らかにしない。これを徹底させましょう。何か個人的なことを書きたい場合でも、テキトーにうそを混ぜたりごまかしたり。
mixiとかメッセ・オフ会も厳禁です。人の口に戸は立てられません。「ブログ連合」はネタというか嘘っぱちだと思いますが、メッセなどをきっかけとしてオフで会ったりした面子が仲良くなったりして連絡を頻繁に取り合うということはよくあることですし、また、そのような人間関係がトラブルの元になるというのも実際よくあることです。今回の炎上も騒ぎのもともとの原因となったのは案外この辺の人間関係のトラブルなのではないかと私は邪推しています。ですから、安全にサイトの運営を続けるためには、部分的な情報からあることないことでっち上げられないようにクローズドな場所ではあまり活動せず、オープンなネット上のみで活動をするか、あるいはどうせならネット引きこもりになるぐらいの勢いでいきましょう。
次に、実際のサイトの内容ですが、今回問題とされたのは二つです。つまり、勝手に内容を転載し、アフィリエイトを張った、という話。金稼ぎをするためにはアフィリエイトを剥がすという選択肢はありえませんから、前者をどうにかしなければなりません。すなわち、記事の内容を勝手に転載せずに、2ちゃんまとめサイトを運営する必要がある。不可能な要請のような気もしなくはないんですが、少し考えてみます。
一番手っ取り早いのは、にくちゃんねるなどの過去ログ倉庫から面白そうなログを探してきて、リンクを張ってテキトーな引用を行いコメントをつけるという方法です。要するに、自分のところにはログを保存しない。そうすれば、適切な引用の範囲内ですから何も問題は起こりません。立ち位置的には2ちゃんまとめサイトというよりもニュースサイトや普通のブログっぽい感じですか。問題としては、自分のところにログがないという点において、既存のまとめサイトよりも不便で訴求力がなく、大手ニュースサイトに張られることもなくなる可能性があります。また、過去ログだと記事の新鮮さもなく、あまり人気が出ない気もします。まあ、個人ニュースサイトやブログを普通にやりつつその一環として行うならばこのような方法もアリでしょう。
もう少し大胆な方法だと、ログを保存しつつ、やはりそのログにリンクを張ってテキトーな引用を行いコメントをつけるというのもあります。そして、ログのほうには広告をはらず、記事のほうにだけ広告を張る、と。ログには外部からは直接アクセスできないようにしておけばよいでしょう。ログはテキストで保存するのではなく、web魚拓などで保存するのでももちろん可です。保存したログは2ちゃんのログがすぐに見えなくなってしまい、記事及び引用の意味がわからなくなってしまって困るということへの対応に過ぎず、その程度のことはGoogleキャッシュみたいなものであり現在のインターネット事情では問題と思われない、とかなんとか抗弁すると吉です。どうせなら、iframeなどで記事内にログを載せたいところですが、それはかなりリスキーな感じです。
もちろんこれらの方法でも、2ちゃんのログを使って金儲けをするのは許せないと思う人は納得しないでしょうし、批判してくる人もいるでしょう。しかし、重要なのは彼らを納得させることではなく彼らを黙らせることです。要するに、反論しようがないようにしておけばOK。どれだけ批判があってもあら捜しが出来なければそのうち収まりますし、放置しても無問題。コメント欄を閉じるというのもアリかもしれませんが、荒れるのがいやならば最初からコメント・トラックバックを受け付けないようにしておくほうがマシです。
今回は露悪的な感じで書いてみましたが、まあ、需要と供給の関係ということで、そのうち何らかの対策を施したサイトが出てきてまた騒ぎになったりならなかったりするでしょうね、という無難な落ち。
2006年06月01日
Amazonがイーバンクでの決済開始
Amazon.co.jp、イーバンク銀行の決済サービスに対応という記事。まあ、クレジットを使っている人には関係はさほどないでしょうが、これはなかなか便利そうです。
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なぜVIPブログが不快なのか
もう話題が大きくなりすぎてどういうコメントをつけると面白いのかよくわからなくなってきていますが、2ちゃんねるのログをまとめたサイトが次々に炎上し閉鎖しているという話。もともとの原因はなんとなく私怨のような感じはするんですが、勝手にコメントを転載してそれで金を取っているということで大炎上し、ニャー速など有名サイトがつぶれて現在に至る、と。とりあえずITmediaの2ちゃんネタは誰のもの? スレ紹介ブログの閉鎖相次ぐを参照のこと。
まあ炎上に関しては、2ちゃんねるを扱っている時点である程度は覚悟をしておかないと駄目だろうとか、そういう元も子もない感じですが、気になったというか、この事件が大騒ぎになった真相についてピンときたのは極東ブログ: 2ちゃんねるまとめサイト炎上・閉鎖のコメント欄のpapepo氏のこういうコメント。
私は2ちゃんねる住人ではないので話題のスレのまとめは重宝します。圧倒的にノイズであるログを全部見るのは非効率ですし、すぐにDAT落ちするのでまとめは便利です。
私が引っかかったのは、「圧倒的にノイズであるログを全部見るのは非効率」という一節です。きわめて合理的かつ功利主義的な発想ではありますが、私はこのコメントにちょっと腹が立ちました。我ながら青臭いですが、他人のコメントに対して勝手にノイズであるとか偉そうなことをいうな、批評家か何かのつもりなのか、という話。
当たり前ですが、vipでもなんでも私たちが2chなり何なりの掲示板に書き込むとき、大体は何か書きたいことがあって書くわけで、「萌え〜」でも何でもそれを書いたことには必然性がある。そのような書き込みの積み重ねによって、ひとつのスレッドなり板なりが2chでは成立しているわけです。2chは基本的に匿名なので気づきにくいわけですが、一つ一つの書き込みには当然のごとく書き手がいて、宣伝用のプログラムとかでない限りはそれは人間である。そのような人間の書き込みの一部を「圧倒的なノイズ」と称して選別することは人間性を抹殺してデータの束に還元しようとする姿勢に他ならない。よくweb 2.0においては、webサイトはサイト・書き手の単位ではなく情報の単位で読まれるとかいわれますが、それを情報の向こうに、テクストを書いた人間を想定しないと解釈するならば、人間がそこには既に存在しないという点において、反吐が出るようなディストピア以外の何者でもないでしょう。
この炎上が大きな騒ぎとなった原因は、vipブログ管理人が金を稼いでいるということではなく、彼らが板の書き込みを金に替えるための道具としてしか考えていないということでした。このvipブログ管理人の態度は、徹底的に合理的かつ功利主義的に他者の人間性を収奪するという点において、papepo氏のコメントにおいて示される態度と共通しています。端的に、2ch住人が怒ったのは、自分たちの書き込みが金に変えられているということに対してではなく、圧倒的な数のコメントが「ノイズ」として処理されることによって、人間の書き込みの集まりであったスレッド、そして板が、ただのデータの集まりへと還元されて金にかわるという人間性の抑圧の図式に対してであったのです。マルクスとかなら人間の疎外とかいったでしょうが、まあ似たようなものというか、2ch的価値観がユートピア的社会主義っぽいとかそういう感じでしょうか。
リニューアル、『白濁クダサイ』レビューアップ
とうとうAmazonから警告が来てしまったので、Amazon Associatesをはずしつつリニューアル。というか、ちょうどリニューアルの準備が済んだタイミングだったのはよかった。一括置換できないはてなダイアリーはアフィリエイトをはずすのがめんどくさいので3日後ぐらいに削除することにします。そのため、何か保存しておきたいという奇特な人は早いうちに。あとは、『白濁クダサイ』のレビューアップしました。良作かどうかは微妙なところですが、微妙にいい感じの作品です。



