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モノーキー:テーマや伏線は意図の隠蔽とか、BLUE ON BLUE(XPD SIDE)の田中ロミオをめぐる一連の議論。物語における因果関係とかその他の話。
物語は一貫した因果関係によって成立しなければならないということを多分はじめて書いたのはアリストテレスでしょうね。『詩学』15章から引用します。
性格においても、出来事の組みたての場合と同じように、必然的なこと、あるいはありそうなことをつねに求めなければならない。それゆえ、これこれの人がこれこれのことを、必然的なこととして、あるいはありそうなこととして語ったり行動したりしなければならないし、また、これこれのことが、これこれのあとに、必然的なこととして、あるいはありそうなこととして起こらなければならない。
基本的にリアリズムの世界を生きている私たちの立場からは、アリストテレスの指摘はごく当たり前なものに見えるわけですが、実際のところ、彼が生きていた当時はそうではありませんでした。なにせ、当時はまだギリシャ神話とかの時代ですから、物語でも神様が出てきて話をかき回したり、事件を無理やり解決したりやりたい放題です。デウス・エクス・マキナ、機械仕掛けの神とかまあいいますけど、そういうのをアリストテレスは批判した。んで、近代の小説というのは基本的にアリストテレスの主張、すなわち因果関係によって物語を首尾一貫して組み立てねばならないという理屈で作り上げられている。
因果関係というのは、A氏がこう言ったから、B氏がこうやって行動し、その結果でC氏がこのような迷惑をこうむった、とかそういう作りですね。物事には必ず原因と結果があって、それは基本的に一本道でたどることができる。一番典型的なのはミステリです。現場に残された証拠なり何なりをたどることで誰が犯人なのかという結論に到達する。アメリカ最初の近代作家の一人であるエドガー・アラン・ポーがミステリの創始者であり、ドストエフスキーや夏目漱石や芥川龍之介といった心理小説の作者がミステリの仕掛けを好んで用いたことにはそれなりに理由があるわけです。つまり、リアリズム小説というのはミステリなのです。原因があって結果があり、それは因果関係の糸によって結びつけることができる。
その志向を極限まで推し進めたのがジェイムズ・ジョイスというアイルランドの小説家です。原因と結果というのは普通、一本の線によって結びついているのではないのですよね。インターネットにおけるリンクを思い浮かべればよくわかると思いますが、ひとつの出来事から複数の出来事へと因果の糸は伸びていくものであって、因果は複雑なくもの巣の糸のように張り巡らされている。近代小説の因果関係というのはそのうちから物語の主題となる原因と結果を結びつける糸だけをたどることによって成立したものであるわけです。それならば、世界の全体、すなわち複雑なくもの糸の網の目を表現するにはどうすればいいのか。答えは単純なもので、作中における因果関係の網の目をくもの巣状に張り巡らせて、現実全体と作品全体を対応させるようにすればよい、ということになる。そういう発想で書かれたのが20世紀最大の奇書『フィネガンズ・ウェイク』だ、というわけです。ネットになぞらえれば、近代小説はカテゴリ型検索で『フィネガンズ・ウェイク』はgoogleですかね。
確か『ヨーロッパ文学講義』だったと思いますが、ウラジーミル・ナボコフはそのような近代小説の極限としてのジョイスとフランツ・カフカを対峙させています。カフカの作品においては、普通は最後に提示されるはずの答えが作品の冒頭にいきなり現れる。なぜか毒虫になっていたり、超越的な存在としての「城」が何の説明もなく現れる。萌え論 : セカイ系論は、このカフカの方法を次のように説明しています。
要するに、目の前で起きた不可思議なことに対し、説明があれば「安心」できるのに、それをあえて省くことで「不安」を誘っているのである。
カフカの作品では、朝起きたら虫になっていて、そして何の説明もないまま話が進む。つまり、世界とはそういう風に出来ていて、人間では到底それを捕らえることなどできず、実は不安ばかりだ、というのがこの作品の表現しているところである。そして、その不安が、読者を惹きつける。
近代小説においては因果関係の網の目として理解できるはずの世界は、「そういう風に出来ていて、人間では到底それを捕らえることなどでき」ないものとしていきなり登場します。これがヒトとモノの微妙な関係で紹介したロブ・グリエの主張、ひいては現代文学の主要なモチーフへとつながっていく、世界は人間中心には出来上がっていないらしい、という主題です。
いつもながら、きっかけとなった議論から果てしなく逸脱してますが、最後は無理やりエロゲの話をしてみましょう。カフカについて引用した文章が「セカイ系論」であったことからもわかるように、「世界は人間中心には出来上がっていないらしい」という主題はセカイ系につながっています。逆に言えば、世界を説明する因果関係というのは「社会」が支えていたのだ、ということですかね。エロゲは何だかんだで人間関係がメインなので、世界が人間中心にできていなくても人間中心に描かれることになります。そのため、登場人物たちを社会に適合できない者やまだ社会に組み込まれていない学生にすることで、世界の非人間中心性を表現する、と。それはまた一方で世界を超越的なものとして理解することでもあるので、そこにSF・ファンタジーなどとの関連性が生じることになります。
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死者の書・身毒丸 作者: 折口信夫 出版社/メーカー: 中央公論新社 発売日: 1999/06 メディア: 文庫 kagamiさんの書評で気になって探... [続きを読む]
トラックバック時刻: 2006年06月11日 12:45
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