2006年11月04日
恋愛ゲームの「純愛」化の極限としての「萌えゲー」
最近ぐだぐだ考えてたんですが、恋愛を扱う小説って二種類あるんですね。一つ目は、いわゆる「恋愛小説」と呼ばれる奴で、恋愛する男女のいちゃいちゃなり純愛なりファンタジーなり妄想なりを書く小説。もう一つは「恋愛心理小説」とでも呼ぶべきもので、複数の男女の恋愛感情のもつれというか、複雑な恋愛関係の男女の心理状態を分析するもの。前者はハーレクイン・ロマンス、後者は19世紀風の姦通小説が代表的なものでしょう。
それで、恋愛を扱ったエロゲーにも当然のごとく、似たような分類が成立するはずだと考えたわけです。もともとが大雑把な分類なので大雑把に分けてみましょう。『同級生』や『To Heart』をはじめとする大概の恋愛ADVは「恋愛小説」と同じカテゴリーの作品群でしょう。また一方で、「恋愛心理小説」にあたるのは『White Album』や『君が望む永遠』のような三角関係を扱った作品とか、寝取り・寝取られゲーなんかでしょうか。前者は理想化された恋愛関係を擬似体験させるもので、後者は人間の心理を分析するための素材として恋愛関係を用いるものです。
とりあえず、便宜的に前者を「擬似恋愛ゲーム」、後者を「恋愛心理ゲーム」とでも呼ぶとしましょう。「恋愛心理ゲーム」という呼び名は心理テストみたいでかなり微妙な雰囲気を漂わせていますが、気にしない方向で。両者はともに恋愛を扱う作品なので、その区分は大体が流動的です。たとえば、『君が望む永遠』なんかは遙との恋愛を描く前半は「擬似恋愛ゲーム」なのに、後半は水月を絡めた三角関係を描く「恋愛心理ゲーム」に変化しています。
テキトーに振り返ってみるまでもなく明らかですが、恋愛を扱うゲームの主流として存在するのは常に「擬似恋愛ゲーム」でした。というか、恋愛ゲームの歴史とは恋愛の理想化を過剰化してきた歴史に他なりません。その点について、のり氏の2005年5月13日の日記から引用します。
この『同級生』は、発売元のエルフ曰く「ナンパゲー」であり、一回のプレイで10人ぐらいの同時攻略が可能なゲームであったが、後日発売された「同級生2」ではこの辺の同時攻略性がずっとシビアになり、二股、三股を良しとしない「純愛ゲー」としての側面が強くなってくる。これはポルノメディアとしては明らかに退化のはずだが、この事に対してのプレイヤーの反発は僕の知る限りでほとんどなかった。『同級生』、続けて『ときめきメモリアル』に群がったプレイヤー達の多くは、「ナンパ」(ポルノ)ではなくまさに「純愛」こそを望んでいたからである。
のり氏のテクストは『美少女ゲームの臨界点』の書評なので、この後に「つまりエロゲーはプレイヤーの主体の一部とともに、プレイヤーの現実的な倫理(たとえば反マッチョイズム)をも取り込んでいってしまったのだ」と続くわけですが、当面の議論において重要なのは、恋愛ゲームの「純愛」化というのは要するに「恋愛心理ゲーム」の「擬似恋愛ゲーム」化であるという点です。
ここで改めて「擬似恋愛ゲーム」と「恋愛心理ゲーム」の違いを確認しておくと、「擬似恋愛ゲーム」において重要なのはその名称からも明らかですが、恋愛を疑似体験させることです。これらの作品では恋愛関係に没入させることが至上命題です。一方で、「恋愛心理ゲーム」においては恋愛する男女の心理を描き出すことが目的です。そのためこれらの作品では破局や痴情のもつれも物語の必然として扱われることになります。「恋愛心理ゲーム」において三角関係が好んで用いられるというか、大概の「恋愛心理ゲーム」が三角関係を用いた作品であるのは、二元論の超克と隠蔽された「他者」において姦通小説を論じた際に指摘したように、恋愛関係にもう一人ライバルが組み込まれることによって、恋愛する人間たちの関係性やその心理が表現しやすくなるからです。
その点を前提にして考えれば、恋愛ゲームの「純愛」化がすなわち「恋愛心理ゲーム」の「擬似恋愛ゲーム」化であることの理由は簡単に察することが出来るでしょう。三角関係で純愛とか色々と意味不明ですからね。そしてそれは、もう一つ重要な論点をも指し示しています。つまり、恋愛を疑似体験させるためには男女の心理を描くことは不要なのではないか、あるいは、恋愛の「純愛」化というのは心理描写の形骸化なのではないかという論点です。
我ながらかなりの勢いで論点が飛躍しているような気がしますが、ここでエロゲーの恋愛描写について語る上でやっかいなマジックワードである「萌え」について考えてみたいと思います。「萌え」とは何か、というのは色々と諸説紛糾するところですが、とりあえず、私自身が「萌え」られる女の絶望についてにおいて提唱した、「萌え」とは女を鑑賞することである、というアイデアを採用することにします。「萌え」をそのように捉えた場合、いわゆる「萌えゲー」は「擬似恋愛ゲーム」と「恋愛心理ゲーム」という恋愛ゲームの分類のどこに位置づけられることになるのでしょうか。
まあ、「萌えゲー」が「恋愛心理ゲーム」ではなく「擬似恋愛ゲーム」に属するというのはどう考えても明らかな気がするわけですが、また一方で、「萌えゲー」が一般的な「擬似恋愛ゲーム」とは異なった性質を持っていることも確かです。「擬似恋愛」における恋愛の描写が主人公とヒロインのコミュニケーションの快楽を軸とするものであるのに対して、「萌え」は恋愛するヒロインの心理を鑑賞する快楽を軸とするものです。そのため、「萌えゲー」では擬似恋愛的な要素は大して重要ではなく、それどころか擬似恋愛的な要素がまったく存在しなくても「萌えゲー」は成立するのです。
「萌えゲー」と「擬似恋愛ゲーム」の違いを単なる差異として考えることも普通に可能ですが、先ほど論じた恋愛の「純愛」化・「恋愛心理ゲーム」の「擬似恋愛ゲーム」化の延長線上に「萌えゲー」を位置づけることも可能なのではないかと思われます。「恋愛心理ゲーム」においては主に3人以上の男女の恋愛の関係性が描かれ、『擬似恋愛ゲーム』においては主人公とヒロインの恋愛が描かれ、「萌えゲー」においてはヒロインの恋愛のみが描かれる、という風に。恋愛の「純愛」化が進行するにしたがって登場人物の関係性が単純化し、心理描写が形骸化していく。そして、「萌えゲー」に至ってついに焦点の当てられる登場人物はヒロインのみになり、心理描写は誰にも明け透けな記号に成り果てる。
最後に簡単にまとめると、エロゲーにおいても小説と同じような恋愛を扱う作品群の分類はおおむね可能。ただ、エロゲーにおいては恋愛の「純愛」化が一貫して進行し、その過程において恋愛の描写は単純化していき、ついにはヒロインのみが描かれる「萌えゲー」なるものまで登場した、ということになります。
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