2007年03月21日
『傷モノの学園III』レビューアップ
『傷モノの学園III』レビューアップしました。過去作が懐かしくなるつくりというか何というか。まあ、今作は皐月でしょう。
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ALICESOFT、変身ヒロインモノ新作作成告知
ALICESOFTのウェブサイトにおいて、変身ヒロインモノ新作の告知がなされています。エスカレイヤーが2002年でしたから、もう5年経つんですね……今回も原画はおにぎりくんということで、嫌が応にも期待が高まります。
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2007年03月18日
『傷モノの学園3 』進行中
大体3分の2ぐらいは終わった感じです、『傷モノの学園3』(RaSeN)。内容的にはアイスピックも消火器もあるいかにも『傷モノの学園』といった感じの作品ですかね。どのキャラも意外と普通ではありますが、皐月だけ明らかにやばいです。
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『螺旋回廊 復刻版』発売延期
追加要素なしにも関わらず『螺旋回廊 復刻版』(ruf)発売延期です。新パッケージ絵が公開されていますが、微妙……
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QuietComfort3購入
ノイズキャンセリング・ヘッドホンQueitComfort3を購入しました。知ってる人も普通にいると思いますが、ノイズキャンセリング・ヘッドホンというのはどういうものかBOSEのサイトから引用しておきます。
イヤーカップ内部に取り付けられた超小型の集音マイクで外部からの騒音をキャッチ、それらを瞬時に周波数データに変換し、同時に収集したノイズデータとは逆位相の信号を高速で発生させることで、イヤーカップ内のノイズを打ち消します
とりあえず部屋で使ってみた感想としては、確かにとてもとても静かになります。PCのファンの音とか全然聞えない。アホみたいに静かで、病み付きになりそうです。サイズもこいつはかなりコンパクトなので、持ち歩いて使っても問題なさげ、というか電車とかで使うために買ったんですが。ただ、5万円ぐらいするので、価格はかなりアレ。
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2007年03月08日
エロゲーメーカーが大量倒産しているという話
「業界」倒産情報 という記事。みりすも逝きましたし、こんなにバタバタ倒れるのは珍しいというか、今までなかったんじゃないでしょうか。
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エロゲー主人公の作り方
cogni氏が『CLANNAD』のプレイ日記に、
「物語から主人公が疎外されており、ヒロインの物語を読む」などと言及され、その構造が特異とされる昨今のギャルゲーの物語に関しては、本当にそうした「主人公=語り手の物語からの疎外」が歴史的に見て特異なのだろうかと、言い換えるならば、私小説などが始まった頃あたりから語り手は不可避的に物語に関与するようになったものの語り手とは本来的に物語に関与できない存在としてあったのではないだろうか、という、系譜に関する疑問・仮説すら頭を擡げる
といったことを書いているので、そのへんの話を枕にしつつ「語り」の問題について。
単刀直入にいくと、「語り手とは本来的に物語に関与できない存在としてあったのではないだろうか」というcogni氏の仮説は無理筋だろうという気はしますね。ギリシャ悲劇には、アイスキュロスの『縛られたプロメテウス』のプロメテウスみたいな、自分の経歴を延々と語る英雄とか普通に出てきます。あるいは、いかにも「神の視点」から物語ってるっぽいホメロスの『オデュッセイア』においても、オデュッセウスが自らの経験した話として、キュクロプスについて語って聞かせる場面が挿入される。もう少し時代は下りますが、ペトロニウスの『サテュリコン』というネロがハッスルしていた時代の小説は、普通に語り手=主人公の一人称で書かれています。
だいぶ最近の話をすると、『ガルガンチュア』とか『ドン・キホーテ』みたいな17世紀ぐらいまでの小説は、三人称のものが多いですが、18世紀になると『新エロイーズ』や『クラリッサ』を典型とする書簡体小説や『ロビンソン・クルーソー』や『トリストラム・シャンディ』みたいな語り手=主人公の一人称小説が主流になるというか、無茶苦茶流行ります。近代小説において、語り手を排する形式が戻ってくるのは19世紀になってからじゃないですかね。ジェイン・オースティンが18世紀末で、『ボヴァリー夫人』が出るのが19世紀の半ばぐらい。20世紀になると周知のとおり、『失われた時を求めて』とか『ユリシーズ』の時代になるわけです。
んで、エロゲーの話。もちろん、エロゲーにも普通に三人称の作品というのは存在します。有名なのは『ランス』シリーズですね。うちのサイトで取り上げるような作品でいくと、RaSeNの『魔法天使』シリーズなんかもそうです。ただ、エロゲーにおいて圧倒的に多いのは主人公による語りであるのもまあ事実。
主人公による語りといっても色々とあって、『逸脱』の主人公のようないかにも近代的というか意識的な語り手もいれば、cogni氏が話題にしている「物語から疎外されている」主人公とかいうのもいるわけです。実際のところ、確かにあんまりちゃんと主人公していない語り手というのは珍しくありません。『神曲』のダンテとか、『モービィ・ディック』のイシュメールとか、もちろん『シャーロックホームズ』のワトソンとか、脇役というか、出来事が起こるのを脇で見ている語り手というのは結構います。考えてみれば、ロビンソン・クルーソーにせよガリバーにせよ、自分に起こった出来事をリアルタイムに記述しているのではなくて、後年になって回想しているわけです。なんというか、時間的にせよ空間的にせよ、物語からある程度「距離」があると物語りやすいというのはあるわけなんでしょう。
19世紀の末ごろに、ヘンリー・ジェイムズという作家が"Show, don't tell"ということを書いています。tellingというのは、先ほど述べたような「距離」をとって物語る書き方のこと。showingとはその逆で、出来事をリアルタイムな感じで物語ること。ヘンリー・ジェイムズは、小説はtellingよりもshowingでいくべきだ、とか言ってる、と。んで、そのへんから、いわゆる「意識の流れ」みたいな、「本人は語っているつもりのない語り手」が出てくるわけです。
私としては、エロゲー的な「物語から疎外されている」主人公というのは、イシュメールみたいなタイプというよりもむしろ、ダロウェイ夫人みたいなタイプの語り手なのではないかという気がします。ぶっちゃけた書き方をすると、ちゃんと主人公をしていないのではなくて、ちゃんと語り手をしていないのだろう、という話。
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2007年03月04日
『肛奉巫女』レビューアップ
『肛奉巫女』レビューアップしました。ラヴリスは最近どうもいまいちです。
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『傷モノの学園3』マスターアップ
発売日にちゃんと出るのかかなり疑わしかった『傷モノの学園3』(RaSeN)がマスターアップしました。内容的にはアイスピックとか期待ということで。
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