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2007年06月10日

「決断主義」はあまりに「おたく的」すぎてついていけない

翻訳 - 自己管理チェックリスト12条残酷な企業が支配する −バイラルマーケティング−「決断主義」は流行の最先端ではなく、ただ当たり前のことでしかない。という記事。あんまり関係なさそうな記事を並べて何をしたいんだといった感じですが、関係がないわけでもないという話。

関係というのは何かというと、どれも「社会」というものについて異なったレイヤーにおいて議論しているということです。p_shirokuma氏のやつは、彼のこの手の議論に大体共通するものではあるんですが、「個人と社会」という枠組みで基本的に物事を考えています。だから、社会から逃避するオタクとか、社会でサバイヴするための「決断主義」とかいう話になるわけですね。まあ、私は元のゼロ年代の何たらを読んでいないのでその辺はテキトーです。

一方で、kagami氏の議論は「資本と民衆」というか、民衆をコントロールしようとする資本と、欲望をコントロールされる民衆という構図。んで、そのコントロールするためのシステムが、まあ社会というわけですね。p_shirokuma氏と対比するために大げさっぽく書くと、kagami氏は社会から現実逃避できるということや、決断主義で社会をサバイヴすることができるということを、まったく信じていないのではないですかね。というか、どっちの姿勢も欲望をコントロールされた入出力の結果でしかないと考えている。だからkagami氏は二次元にダイヴするわけです。

んで、kagami氏の議論はちょっとニヒリスティックすぎないかというか、むしろ逆にもっと推し進めてみたところに、dankogai氏の引っ張ってきているlifehack系の記事があるわけです。lifehackって最近はやってるというか、自己啓発系っぽくて気持ち悪いとかあるわけですが、行動分析学あたりが理論的な基盤としてあるのかなぁ、といった感じです。

行動分析学というのは、ぶっちゃけた書き方をすると、行動を中心にしてというか、行動の組み合わせとして人間とか動物について考える学問。従来の、行動を心理状態の現われとみなす「医学モデル」というのを批判し、人間のあらゆる行動は学習によって強化されたものであると考えます。kagami氏がいう「広告・宣伝業というのは、人間の精神をメカニズムとして捉える技法の職なんですよ。Aという入力で、Bという出力が得られるという風に」といった方向性の最右翼みたいな感じですね。

行動分析家はp_shirokuma氏の「自己実現の問題や自意識の問題」も、kagami氏の「精神」や「欲望」の問題も信じません。ただそこには行動があって、行動を強化する学習のシステムのみが存在する。そして、行動の背後には精神も欲望も自意識もない、というか、行動の原因を精神や欲望や自意識に求めない。ということで、lifehackは自意識とか欲望とか哲学ではなくて、行動を規定するシステムの問題を扱うものであって、システムをhackすることで自分の行動をコントロールしようとする。

私の意見をついで程度に書いておくとすれば、p_shirokuma氏の路線は普通にやばいだろうと思いますね。端的に、「決断主義」はシステムのコントロールを隠蔽し擁護する。その辺はcrow_henmi氏の決断主義云々の続き(メモ)が正確に指摘していると思います。「決断主義というのは、環境管理型権力やそれによって形成される動的平衡としての自己という問題から眼を逸らすためのレトリックではないかとすら思える。つまりは極反動」、あるいは「決断主義というのは人間性への回帰でありすなわちロマン主義なのだけど、あいにく世の中はそんなにロマンチックにできていない。ので、リアリズムからはどんどんと乖離していく方向に行くだろう」という記述。まあ、少なくともp_shirokuma氏的なロマン主義がどのようにおいしく料理されていただかれているのかというのは、考えたほうがいいでしょう。

どこで読んだのか忘れましたが、個人が運営するWebサービスについての記事でこういう記述があったんですね。記憶からなのでテキトーに書きますが、普通、個人というのは会社よりも小回りが利くから、最新の技術を使ったサービスや流行に乗ったサービスをさくっと作ればいいとかいうわけですが、実は、そうではないというのです。というのも、一昔前ならばともかく、いまでは普通に大企業があっさり最先端の技術を使った流行に乗ったサービスを作ってしまうから、個人が提供できる品質のものだと多少時間的なプライオリティがあってもお話にならない。連中と同じ土俵で戦うのは下策だというわけです。そのような観点から見ても、やはり「ますます流動性と多様性とグローバリゼーションをきわめていて、容赦なきパワーゲームが先鋭化しつつある状況」に素直に乗ってしまうのは台風が上陸した日にサーフィンするようなものです。

だからといって、私はkagami氏ほどニヒリスティックにはなれない程度には楽観主義者なので、結局lifehack・行動分析学的な路線がよろしいのではないかなぁ、と思います。「ただそこには行動があって、行動を強化する学習のシステムのみが存在する」という考え方はアレな感じがしなくもないわけですが、そのような割り切り方はむしろ人間の精神を自由にするとも考えられなくはないわけで。『悪徳の栄え』のジュリエットにはなれないにしても、好ましい行動がaffordされるようにシステムをhackする必要性があるのではないか。lifehackとか自分の習慣のみではなくて、もう少し大きな規模で。まあ、10年くらい前に岡田斗司夫が『ぼくたちの洗脳社会』とか書いてますし、群集心理の話になると普通に百年以上はさかのぼるわけです。ま、私は洗脳大会に巻き込まれるのもごめんなのでぼちぼちやりますが。

最後に、『若い芸術家の肖像』からおそらくは若いころのジョイスの信念を引いておきましょう。

ぼくは自分が信じていないものに仕えることをしない。それがぼくの家庭だろうと、祖国だろうと、教会だろうと。ぼくはできるだけ自由に、そしてできるだけ全体的に、人生のある様式で、それとも芸術のある様式で、自分を表現しようとするつもりだ。自分を守るための唯一の武器として、沈黙と流寓とそれから狡知を使って。

行動分析学関係の本をちょろっと紹介しておくと、『パフォーマンス・マネジメント』というのが有名ですかね。薄い本なのですぐ読めます。手元においておくと便利な感じ。もう少し専門的なものだとそのまんま『行動分析学入門』というのがあります。これはちょっと普通は必要ないぐらいに細かいものではありますが、性同一性障害っぽい男を「男らしくする」という色々とアレというか興味深い話が載っているのでお勧めです。p_shirokuma氏とか惑星なんたらの路線がうまくいかない理由がよくわかります。

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