2007年07月28日
『蠱惑の刻』プレイ中
『蠱惑の刻』(TinkerBell)プレイ中ですが、予想外にすごい展開ですね、某ルート。発売前は、前作よりゆるくなるだろうと思っていたのに。なんか、作品を出すごとに過激さが増していて、すでに『はなマルッ!』とか作っていたチームの作品とはちょっと思えない。
唐沢俊一・幻冬舎が盗作した上に開き直り
問題が起こったときからひそかにチェックしていた唐沢俊一が漫棚通信から盗作したというトラブルですが、これは盗作とちゃうんかいっ・決裂篇ということで、ある程度予想はしていましたが、決裂したみたいですね。
すでに唐沢・幻冬舎は恥をさらしまくりでその様子は永遠にネット上に残るわけですが、もうここまでくると行くところまでいって欲しいという気もしますね。
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2007年07月21日
『蔵の中はキケンがいっぱい!?』レビューアップ
『蔵の中はキケンがいっぱい!?』レビューアップしました。しかし、これのあとに『悪鎖』をやると嘘屋シナリオが普通に見える。
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ドラゴンクエストシリーズに見る魔王軍の絶望的な困難
なぜ魔王は世界征服に失敗するのか、あるいは魔王のタイムスケールもんだい。という記事が発端なんでしょうか、RPGなんかに出てくる魔王がなぜ世界征服できずに滅ぼされてしまうのか、というのが話題になっています。この手のネタは昔からよくありますが、取り合えずドラクエシリーズを念頭に置きつつ私も理由を考えてみました。
一つ目の理由として、魔王の支配する魔物の軍勢が、多種族からなる軍隊であることが挙げられるでしょう。スライムとかドラキーとかキラーマシンとか、どこをどう見ても全然関係ないとしか思えない種族が、魔王によって軍隊として徴用されている。このような多種族からなる軍隊の場合、当然のごとく同じ種族の魔物どうしの結束が魔王への忠誠心を上回るわけで、結局のところ、魔王軍は統制も何も無い色々な種族の寄せ集めになり、魔王もさまざまな種族の中で取り合えず一番強いやつぐらいの存在たらざるを得ません。
ローマ帝国を弱体化させた他民族による傭兵部隊のように、魔王軍のような多種族軍の士気は低下し、あたかもそこらへんをぶらついている動物のような存在へと成り下がります。もちろん人間側がそのような状況をほうっておくはずも無いわけで、『ドラゴンクエスト5』などでは配下の魔物たちがどんどんと切り崩されていき、魔王軍はいわば内側から崩壊することになるわけです。
この問題を避けるために必要なのは、マキャベリが正確に指摘しているように「国民軍」を創設することでしょう。要するに、魔王本人と同じ種族によって軍隊を構成する。ドラクエシリーズにおいては『ドラゴンクエスト1』の竜王がそのような方法を取り入れていました。ローラ姫をさらったのはドラゴンでしたし、竜王の城の周りにはドラゴンの部隊が配置されています。世界征服こそ不可能だったものの、竜王は子孫に王の位を継がせることで百年後の『ドラゴンクエスト2』の時代に至るまで一定の国力を維持することに成功しています。
二つ目の理由としては、外交活動を行うことが不可能であることが挙げられます。歴史上どのような大国でもそうですが、周りのあらゆる国を敵に回して戦い続けられるような国はありません。そのため、外交によって戦争を回避したり、仲間を作ったりするわけですね。魔王にとってもその点はおそらく同じであるはずで、「魔物」というアイデンティティを共有するほかの種族に対しては、前述のように問題があるとしても配下としえたわけですが、人間を配下にするだとか、人間の国と同盟を結びほかの国を滅ぼすといったことは魔王にとってほとんど不可能なことであるようです。『ドラゴンクエスト4』のバルザックみたいな一部の悪人が魔王の配下につくことはわずかにあるようですが、人間と魔物の敵対関係は決定的であり、妥協の可能性はありえません。
そのような外交の不可能性が生み出すのは、人間は絶滅させなければならない、あらゆる人間の国と同時に戦い続けなければならないという状況です。各個撃破することも出来ず、軍隊から村人まであらゆる抵抗を世界中で受け続けるというのは、魔王軍にとって著しい負担となります。そのうえ勇者パーティのようなテロ組織や、それを公然と支援するテロ支援国家まで存在するわけですから、どうしようもありません。『ドラゴンクエスト7』のオルゴ・デ・ミーラは、人間を各個撃破するために世界をばらばらに分割するという荒業を使うことにより、ドラクエ史上最も世界征服に近づいたというかむしろ、一時期は完全に世界征服を成し遂げた魔王となりました。
さらに決定的な問題として、魔王軍は人間ばかりではなく、神族やら妖精・精霊といった超越的な能力をもつ種族をも敵にまわしていることが挙げられます。これらの種族は人間と比べると規模が小さいものの、勇者パーティに強力な武器をあたえたり教会を介することによって彼らに無限の命を与えていますし、マスタードラゴンおよび天空城は常に魔王を滅ぼすための決定的な役割を果たしています。実際、ルビスを封印した『ドラゴンクエスト3』のゾーマにせよ、天空城を封印しダーマ神殿を撃ち滅ぼした『ドラゴンクエスト6』のデスタムーアにせよ、彼らのような超越的な能力を持つ種族をどうにかすることによってようやく世界征服に乗り出すことが出来るといった具合なのです。
最後に簡単にまとめましょう。魔王が世界征服出来ないのは、多種族による寄せ集めの軍隊であるために士気が低く、そのような軍隊によって人間や神族のようなあらゆるほかの種族との多正面戦争を強いられるからであるといえます。しかし、このような文章を書いているとやたらとドラクエがプレイしたくなりますね……
2007年07月15日
『王賊』レビューアップ
『王賊』レビューアップしました。何だかんだでやはり楽しい作品でした。
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『蔵の中はキケンがいっぱい!?』プレイ中
取り合えず入手したので開始しています『蔵の中はキケンがいっぱい!?』(FAIRYTALE ETHIX)。半分ぐらい終了しましたが、何か、色々な意味でやばいですね、これは。シナリオにかなり電波が入っているというのはともかく、宣伝どころかパッケージ・取説からスタート画面まで全部がほのぼのなのに平然と内容だけが電波してるのが怖すぎる。というか、あらすじの範囲内でもすでに違ってきているし。何なんでしょう、これは。『CARNIVAL』とか『ネコっかわいがり!』みたいなのともoverflow的な受け狙いともベクトルの違う代物です。
オタク文化としてのライトノベル
ライトノベルの文体の話が一部で盛り上がってますね。元はポスト〈セカイ系〉としての『ギートステイト』と、ライトノベル作家の文体についての疑問という記事でしょうか。
まあ、最初に端的に元も子もない話をしてしまえば、文章に凝ることの出来る時間がないというのがあるわけでしょう。mot justeとかいって、ひとつの言葉をひねり出すために丸一日とか平気でかけていたフロベールは『ボヴァリ夫人』を5年ぐらい使って書いていますし、『フィネガンズ・ウェイク』を書くのにジョイスはなんと17年もかけています。現代作家でも、ピンチョンとかギャディスなんかは10年とか平気で使うわけですね。そういうのと比べて、ライトノベル作家は普通に1年に何冊も小説を書く人もいるぐらいですから、単純に使える時間が少ないわけで、その限られた時間で読ませる文章を書く方法として、いわゆる「ラノベ的」な文体が編み出されたというのがあるのではないかと思うわけです。
文体の話とかになると、すぐ大衆小説は娯楽だから読みやすい文体で純文学は芸術だから典雅な文体だとかいう話になるわけですが、実際のところというか当然ながらそんなことはまったく無いというかそういう簡単な話ではないのです。日本の近代小説だと、簡潔な文体の作家として有名な人には志賀直哉がいます。彼はあらゆる無駄な表現を徹底的に切り詰めることでよく知られていて、取り合えず恐ろしく巧く小説を書く。一方で、典雅な文体で書く作家には、谷崎潤一郎なんかがいるわけでしょう。彼の書く文章はどれも基本的にとても息が長く、ごてごてで耽美な感じです。
この二人の作家は非常に典型的ですが、簡潔に書いたほうが読みやすく、典雅に書いたほうが読みづらいというわけでもないんですよね。志賀直哉の文章は切り詰められていて映像を喚起させるような表現が非常に美しいわけですが、注意していないとなかなかちゃんと読めないというか、何がなんだかよくわからない。一方で、谷崎の文章は非常に雄弁でテンポがいいので、文字がぎっしり詰まっていてもいつの間にか平気で10数ページ読んでいたりするわけです。
まあ、そうなるとライトノベルという括りで文体について考えることにどれだけ意味があるのかというのがあるわけですが、ここで、ライトノベルというのがいわゆるオタク文化の一部であるということに注目してみましょう。オタク文化といっても色々あるわけですが、その中で物語を語るものとしてはアニメとか漫画とか、まあエロゲとかあります。ライトノベルはそれらのオタク的作品を文化的背景として持っている小説群であると考えることが出来る。
漫画とかアニメには基本的に文体の問題というのはありません。「語り」という話になるとまた別ですが、基本的に物語を語る機能を持つのは語り手ではなく、それらの機能はコマ割りだとかシステムの問題へと大部分が委譲される。基本的に文章によって物語られているエロゲも紙芝居なのでその傾向はあって、背景CGやエフェクト、よく動く立ち絵などに描写する機能は移されていき、無個性な主人公とか何とか、語り手とかどうでもよくなってくる。
そんな中で、ライトノベルというのは小説なので、いやでも語り手がしゃしゃり出てきたりするわけです。エロゲをそのまま小説に起こしても、全然同じものにはならないですし、逆もまた然り。まあ、これはほかのどのジャンルにおいてもいえることではありますが、「語る」ためのインターフェースが異なるメディアから作品を変換する場合、その点で興味深いケースとして、ミルフィーユ何かが最近出している、二次元ドリームノベルズの小説ををエロゲー化した作品があります。これらの作品は、基本的に原作の作者がライターとしてエロゲー向けに作品を書き換えたもので、『魔法少女沙枝』なんかは結構がらっといかにもエロゲー的な文体に変わっていて興味深い。
最後にさくっとまとめると、ライトノベルの文体ということを考えた場合、ほかの小説ジャンルなんかと比べるよりは、アニメとかエロゲとか異なったインターフェイスをもつメディアとの相互関係というか相互影響を考えたほうが面白いのではないかという感じです。
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2007年07月14日
凌辱ゲームの傑作20選
エロゲ名作選?という記事。Firefoxで見ると信じがたいぐらい文字が小さいとか、「むしろその「エロゲらしさ」のせいで、他ジャンルに嫌悪されるようなエロゲ」とか書いている割には普通なので、私も20選を書いてみました。条件は凌辱ゲーム、順不同。
- 螺旋回廊(ruf)
- 最近復刻版が出ましたね。詳細はレビュー参照。
- 虜(D.O.)
- 詳細はレビュー参照。
- 夜勤病棟(Mink)
- 詳細はレビュー参照。
- 脅迫(AIL)
- 詳細はレビュー参照。続編も傑作。
- 悪夢(Studio Mebius)
- 普通に凌辱ゲーの傑作ですね。『絶望』よりも暗く饐えたこちらのほうが好み。
- MinDeadBlooD(Black Cyc)
- 詳細はレビュー参照。
- 遺作(elf)
- エロいしゲームとしても面白い。閉鎖空間モノはこのぐらいでないと。
- M.E.M(AIL)
- 思えば、ラブリスは最初が一番よかったというか、ずっと同じものばかり作ってますね。人体改造などマニアックなシチュ。
- 鬼畜王ランス(ALICESOFT)
- 徹夜してプレイしたエロゲは本当にこれぐらい。凌辱はなんと言ってもメデューサ最高。
- 凌辱の連鎖(BLACK PACKAGE TRY)
- ブラパはいろいろあって悩みますが、これが一番ですかね。公開脱糞とかすばらしくよい。
- 最後に奏でる狂想曲(たっちー)
- 超人もいなければ人外もいないたっちーの処女作。容赦なく陰惨な凌辱は当然すばらしく、話も普通に面白い。システムは糞以下。
- 白い蛇の夜(鱚)
- お手軽調教ゲー。堕ちっぷりがすばらしい。実は大好き。
- Deep(Selen)
- 詳細はレビュー参照。
- 夢幻廻廊(Black Cyc)
- 詳細はレビュー参照。
- 蒼色輪廻(美遊)
- 詳細はレビュー参照。
- 雫(Leaf)
- 詳細はレビュー参照。
- 魔法天使ミサキ(RaSeN)
- 詳細はレビュー参照。
- BibleBlack(Active)
- 黒魔術を素材とした超有名な凌辱モノ。今となってはそれほどでもないですが、当時は本当に衝撃的でした。
- femme fatale(inspire)
- 期間限定無料公開とかいってるのに、まだ普通に配布してるっぽい。「女」を描ききった数少ない作品のひとつ。背徳的なエロもよい。システムは糞。
- BALDRFORCE(戯画)
- 戦闘パートが面白いのは当たり前として、まったく容赦の無いシナリオもいい。エロは文句無く悪趣味でいい。
全体に異様に暗い作品ばかりで白蛇がやけに浮いていますが、エロゲーはこうでないとねー、といった感じですか。
2007年07月04日
『王賊』プレイ中
今週というか先週は『王賊』(ソフトハウスキャラ)です。何か、一周がやけに長い普通のSLGですね。引継ぎ・繰り返しプレイ前提が定番であるキャラっぽくないつくり。まあ、面白いですがこの手のはもっといいのがいくらでもあるので微妙。
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まとめサイトはペイしないのではないか?
id:sirouto2さんの山よりも高く海よりも深く夏の暑さや冬の寒さよりも厳しいブログ道という記事。
まあ、私の書きたいことはタイトルに書いてあるとおりですかね。週一回更新して一日2000-3000人ぐらい集めるほうが毎日更新して5000人集めるより費用対効果がいいというか。まあ、そうなるようにサイトを作っていくのがいいですよね。
最近、遅ればせというか流行とかくそ食らえといった感じでジェフリー・ムーアの『キャズム』を読んでいました。どんな内容かというと、とあるサービスなり商品が大ヒットするためには超えなければならない壁というか断絶があるわけですね。マイナーなころから地道に顧客を増やしていくだけではその断絶を超えることは出来ない、それがまあキャズムなわけです。
その断絶がどこにあるのかというと、アーリ・アドプタと呼ばれる、新しくて便利なものが好きな人たちと、アーリ・マジョリティと呼ばれる実用最重視の人たちの間にあるということらしいです。アーリ・アドプタは、便利だと思えばすぐに商品に飛びつくのに対して、アーリ・マジョリティは便利そうであっても、実際に便利に使われている先行事例がたくさんないと導入してくれない。その性質の違いのために、アーリ・アドプタがどれだけもてはやしても、アーリ・マジョリティには全然届かなかったりするわけです。先行事例としては全然足りないというか、同じ実用最重視の人の意見しか信頼しないわけですね。
んで、その断絶をどうやって乗り越えればいいかというと、ジェフリー・ムーアはノルマンディ上陸作戦を例に出して説明していますが、要するに、橋頭堡を確保せよ、という話らしいです。つまり、ニッチ市場を狙え。何か、一般的に受け入れられたいにもかかわらずニッチを狙うというのも変な話っぽいですが、理由はごく単純です。ニッチ市場はそもそも狭いので、集中的にリソースを投下すれば先行事例を積み重ねることが容易であるからです。つまり、その市場のアーリ・マジョリティに届けやすい。んで、そうやってニッチ市場を次々と陥落させることによって、もっとメジャーな市場のアーリ・マジョリティのための先行事例を積み重ねていくわけです。
よくわからない感じに話が脱線していますが、まあWebサイトもそういう方向性で考えるのがよいのではないかな、という無難な締め。
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