2007年11月25日
『闇の声ZERO』情報公開
Black Cycの新作情報が出てますね、『闇の声ZERO』。エウといいZEROばっかかよ、といった感じはしますが、久しぶりの『闇の声』ですし、期待。
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『戦女神ZERO』情報公開
エウシュリー新作情報きましたね。『戦女神ZERO』。『戦女神』どころか『幻燐』よりも前の話ということで。
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2007年11月18日
『魔法少女沙枝 Vol.2』情報更新
出す気があるのかどうか疑わしかったミルフィーユの『魔法少女沙枝 Vol.2』ですが、ようやく情報が更新されました。発売は来年一月ということで、今回は確定ということでいいんでしょうか。
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『返済性奴』情報公開
BLACK PACKAGE TRYの新作の情報が公開されています。タイトルは『返済性奴』。『肛戒』が9月ですから妙にペースが速い気もしたんですが、発売は来年二月予定ということで、それほどでもないっぽいです。
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2007年11月14日
『戦女神2 廉価版』発売告知
なんか、いきなりきましたね。エウシュリーの傑作『戦女神2』の廉価版が出るみたいです。追加シナリオもついているみたいだし懐かしいので、買ってみるのもよさげ。しかし、本当に注目すべきなのは、「一応、来週あたりの新作発表に伴って準備していた旧作(2002年版)の再販です」というひとことでしょう。エウは今年は一作も新作が出なかったのでどうなってるのか心配だったんですが、ようやく『戦姫4』の情報が公開されるわけですね。本当に楽しみです。
『苦悩の梨』の出るエロゲー
kagami氏が「以前確か、bmp69さんが苦悩の梨を使っているエロゲを紹介していたと思うんだけど、タイトルを失念した…(^^;」と書かれていますが、確かに紹介しました。A.S.Sの『陵辱マニアックス』ですね。三本のミニシナリオの入った廉価ソフトで、ミニシナリオのひとつ『加虐の生贄』に洋ナシが登場します。頭のおかしな主人公が姉妹を捕まえていたぶって洋ナシで性器を破壊し、最後には犯し殺してしまうという話。結構ハードというか、普通に犯罪っぽくていい感じではあります。まあ、ダウンロード販売もしていますし安いので、洋ナシのためだけに買ってみてもいいかもしれません。
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2007年11月12日
『牝贄女教師』デモムービー公開
『牝贄女教師』(AIL)のデモムービーが公開されています。さぶろーって、どう考えてもリバ原の別名だと思ってたんですが、今回は原画にさぶろー、シナリオにリバ原がいますね……疑いだしたら何となく絵柄が違うように見えてくるのが不思議。
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2007年10月20日
なぜ凌辱ゲーの主人公にはとってつけたような過去話や勧善懲悪的なエンドが押し付けられるのか
ななくさ氏から興味深い書き込みがあったので、今日はそれについて書こうと思います。
書き込みの内容をまず引用しておきましょう。
螺旋回廊、脅迫2とプレイしました。随分ハマったんですが、男に暗い過去、暗い未来、しっぺ返しがあったりする。それが嫌なんです。作者の守りと思うんです。凌辱があると、凌辱に文学風な理由をつける。凌辱を書いた自分を隠そうとする傾向があると思うんです。最後まで突っ走って欲しいんです。
確かに、凌辱ゲーの主人公にとってつけたような過去話があるのはよくあることですし、また、いわゆる二次元エンドに代表されるようなとってつけたような逆転エンドが起こるのもよくあることです。実際、ななくさ氏の挙げた脅迫2の悪役にはとってつけたような過去話があったわけです。
なぜそのような不必要というかむしろ邪魔とも思われる要素が凌辱ゲーに含まれているのか、ということを考えるわけですが、ななくさ氏のいうところの作者の「社会的保身」というのはもちろんあると思われます。
ひどい環境で育ったために凌辱者になったとか、復讐かなにかのために凌辱するという考え方というか設定には、そのようなひどい環境で育ったわけではないので、自分あるいは自分たちは凌辱なんかしない、というメッセージというか自分を正当化したいという欲望があるわけです。よく、監禁事件かなんかが起こるとオタクバッシングがあったりしますが、そのときのオタクの反応というか反論と同じようなものですね。自分たちは道徳から逸脱しないように生きているが、あいつは特別というか例外なんだ、というようなやつ。凌辱ゲームにおいては、その凌辱者が例外である根拠としてとってつけたような過去話が準備されるわけです。勧善懲悪的なエンディングが準備されることもまた、凌辱者は罰されて当然であるという道徳的な判断に従っているというパフォーマンスとして説明できます。
というわけで、とってつけた過去話や勧善懲悪は世間に対する正当化というか凌辱作品を作っている自らに対する言い訳として説明できるわけですが、もうひとつ重要な理由があるように思えます。どういうことかというと、凌辱者の過去話や勧善懲悪の話というのは、ワイドショー的な快楽の対象でもあるということです。
凶悪な犯罪などが起こると、ワイドショーでは犯罪者の子供の頃の話などを集めたりするわけですね。卒業文集をあさったり、近くに住んでいる人に話を聞いたり。そして、犯罪者に対しては社会的な正義という観点から勧善懲悪的な物語が押し付けられる。これは、もちろん先に述べた凌辱ゲー作者の場合と同じように社会に対する言い訳でもあるのですが、何より犯罪を犯すような人間はどのような生活をしてきたのかという過去話自体が、下世話で覗き見的な欲望の対象であるからなのです。それと同じことはおそらく凌辱ゲーについても言えるわけですね。つまり、凌辱者の過去話や勧善懲悪はワイドショー的な娯楽としてプレイヤーに提供されている、と。
勧善懲悪的な話の真逆を行ったサドは『ジュスチーヌ』で次のようなことを書いています。
世の中には、動機らしい動機なしに他人の不幸を喜こび、自分の快楽の糧とする奇怪な人間がいるのです。ですから、私は、思い切ってロランの途方もない倒錯した行為を読者の目の前に曝け出してみようと思うのです。それは人間の精神の形成を理解するために、どうしても必要なのです。
「ロランの途方もない倒錯した行為」を語りたくてうずうずしている語り手の姿が見えるようで微笑ましく思える一節ですが、とってつけたような動機付けや勧善懲悪の物語を切って捨てるサドの無神論哲学も垣間見ることが出来ます。周知のとおり、サドの作品に登場する悪人たちは社会的な道徳なんか全く信じないわけですね。神なんか人間が作り出した妄想の産物ですし、道徳や法律は弱者が作っただけの物で、自然の本質は悪であるというわけです。そのためサドの作品は自己正当化としての過去話や勧善懲悪物語からもっともかけ離れたところにあります。
最後に簡単にまとめましょう。凌辱ゲーの主人公にとってつけたような過去話があったり勧善懲悪的なエンドが用意されるのには大雑把に二つの理由があります。一つ目は、凌辱作品を作っている自らについての自己正当化であり、もうひとつはワイドショー的な覗き見の快楽の提供です。
2007年10月01日
『姫巫女 繊月』情報公開
待ちに待った元RaSeNの新作情報来ましたね、『姫巫女 繊月』(縁 -yukari-)。タイトルのとおり、いちおうブランドデビュー作なのに、前のブランドの『姫巫女』の続編というのは微妙な感じですね……というか、独自ドメインぐらいとってから公開すればいいのに。
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2007年08月25日
『空蝉に触れるもの』情報公開
CARMINEの新作情報出てますね、『空蝉に触れるもの』。触手モノっぽい。
『超昂戦忍ハルカ』情報公開
ALICESOFT変身ヒロインモノ待望の新作『超昂戦忍ハルカ』の情報が公開されましたね。当然のごとく原画はおにぎりくんということで。なんか、片方のヒロインが露出狂っぽいですが、続報に期待。
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なんか体験版がたくさん
今週末はなんか体験版がたくさん出てますね。うちのサイトに関係ありそうなやつだと『プリヴェ』、『ヘルタースケルター』、『エリクシルナイツ』、『催眠術2』あたりですか。
『プリヴェ』以外は確認終わりましたが、『ヘルタースケルター』は普通によさげ、『エリクシルナイツ』はassaultがライターということで、今までのシリーズとはかなり趣が違う感じ。『催眠術2』はエロが一つしか入ってないのが萎え、しかし村越EDって……
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2007年08月17日
『聖なるかな』二周目終了
『聖なるかな』(Xuse)二周目、HARDナルカナ様ルート終了。エピローグまでお当番なしという恐るべき構成でしたが、これが一応Trueなのかな。ごく一部にバランスブレイカーがいるものの、SLGとしてのゲームバランスは本当にすばらしい出来。シナリオはまあアレということで。
しかし、全員分クリアするのはかなりきつそうですね。次に買う予定の『銃刀』が月末まで逃げたのでまだ少し時間はあるんですが。
『魔将の贄2』情報更新
『魔将の贄2』(Liquid)のCGが更新されています。CGがとてもよさそうなのはLiquidなので当たり前として、シナリオライターがassault、おくとぱす、和泉万夜といった異様に癖の強いライターで構成されているのが楽しみ。というか、ルートとかキャラごとに担当みたいな感じなのかな。
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2007年08月12日
『聖なるかな』一周目終了
『聖なるかな』(Xuse)の一周目がようやく終わりました、のぞみんルート。大方の予想通りヒロインとのエロシーンはわずか一つで、なぜかクリア後に脇役のエロシーンが一つ追加されています。そして、当然のごとく登場したhardモード、さらには二周目以降にしか攻略出来ないキャラもいるというなかなかにカオスな展開ですが、お盆休みの間ぐらいはだらだらプレイをし、後のことは後で考えるということにしようかと。ということで、『蠱惑の刻』レビューなどは明日。
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2007年08月05日
『聖なるかな』進行中
木曜日にFGしてから睡眠時間を削りまくって進行中の『聖なるかな』(Xuse)。現在は第五章で、まだまだ全然普通に続きそうなのがやばすぎ。明らかに移植前提の作りで、エロシーンはほとんど無く、シナリオも読者の想定年齢が小中学生ぐらいのノリ。取り合えず戦闘が長い長い。これで繰り返しプレイ前提の作りとかだったら死ねるんですが。
『蠱惑の刻』レビューとかはあとでというか、もう少し落ち着いてから。
2007年07月28日
『蠱惑の刻』プレイ中
『蠱惑の刻』(TinkerBell)プレイ中ですが、予想外にすごい展開ですね、某ルート。発売前は、前作よりゆるくなるだろうと思っていたのに。なんか、作品を出すごとに過激さが増していて、すでに『はなマルッ!』とか作っていたチームの作品とはちょっと思えない。
2007年07月15日
『蔵の中はキケンがいっぱい!?』プレイ中
取り合えず入手したので開始しています『蔵の中はキケンがいっぱい!?』(FAIRYTALE ETHIX)。半分ぐらい終了しましたが、何か、色々な意味でやばいですね、これは。シナリオにかなり電波が入っているというのはともかく、宣伝どころかパッケージ・取説からスタート画面まで全部がほのぼのなのに平然と内容だけが電波してるのが怖すぎる。というか、あらすじの範囲内でもすでに違ってきているし。何なんでしょう、これは。『CARNIVAL』とか『ネコっかわいがり!』みたいなのともoverflow的な受け狙いともベクトルの違う代物です。
2007年07月14日
凌辱ゲームの傑作20選
エロゲ名作選?という記事。Firefoxで見ると信じがたいぐらい文字が小さいとか、「むしろその「エロゲらしさ」のせいで、他ジャンルに嫌悪されるようなエロゲ」とか書いている割には普通なので、私も20選を書いてみました。条件は凌辱ゲーム、順不同。
- 螺旋回廊(ruf)
- 最近復刻版が出ましたね。詳細はレビュー参照。
- 虜(D.O.)
- 詳細はレビュー参照。
- 夜勤病棟(Mink)
- 詳細はレビュー参照。
- 脅迫(AIL)
- 詳細はレビュー参照。続編も傑作。
- 悪夢(Studio Mebius)
- 普通に凌辱ゲーの傑作ですね。『絶望』よりも暗く饐えたこちらのほうが好み。
- MinDeadBlooD(Black Cyc)
- 詳細はレビュー参照。
- 遺作(elf)
- エロいしゲームとしても面白い。閉鎖空間モノはこのぐらいでないと。
- M.E.M(AIL)
- 思えば、ラブリスは最初が一番よかったというか、ずっと同じものばかり作ってますね。人体改造などマニアックなシチュ。
- 鬼畜王ランス(ALICESOFT)
- 徹夜してプレイしたエロゲは本当にこれぐらい。凌辱はなんと言ってもメデューサ最高。
- 凌辱の連鎖(BLACK PACKAGE TRY)
- ブラパはいろいろあって悩みますが、これが一番ですかね。公開脱糞とかすばらしくよい。
- 最後に奏でる狂想曲(たっちー)
- 超人もいなければ人外もいないたっちーの処女作。容赦なく陰惨な凌辱は当然すばらしく、話も普通に面白い。システムは糞以下。
- 白い蛇の夜(鱚)
- お手軽調教ゲー。堕ちっぷりがすばらしい。実は大好き。
- Deep(Selen)
- 詳細はレビュー参照。
- 夢幻廻廊(Black Cyc)
- 詳細はレビュー参照。
- 蒼色輪廻(美遊)
- 詳細はレビュー参照。
- 雫(Leaf)
- 詳細はレビュー参照。
- 魔法天使ミサキ(RaSeN)
- 詳細はレビュー参照。
- BibleBlack(Active)
- 黒魔術を素材とした超有名な凌辱モノ。今となってはそれほどでもないですが、当時は本当に衝撃的でした。
- femme fatale(inspire)
- 期間限定無料公開とかいってるのに、まだ普通に配布してるっぽい。「女」を描ききった数少ない作品のひとつ。背徳的なエロもよい。システムは糞。
- BALDRFORCE(戯画)
- 戦闘パートが面白いのは当たり前として、まったく容赦の無いシナリオもいい。エロは文句無く悪趣味でいい。
全体に異様に暗い作品ばかりで白蛇がやけに浮いていますが、エロゲーはこうでないとねー、といった感じですか。
2007年07月04日
『王賊』プレイ中
今週というか先週は『王賊』(ソフトハウスキャラ)です。何か、一周がやけに長い普通のSLGですね。引継ぎ・繰り返しプレイ前提が定番であるキャラっぽくないつくり。まあ、面白いですがこの手のはもっといいのがいくらでもあるので微妙。
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2007年06月23日
『魔将の贄2』情報公開
Liquid新作発表きました。タイトルは『魔将の贄2』。何か続編続きですが、原画はかんたか、シナリオはassaultということで要注目。
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2007年06月17日
『奴隷聖徒会長ヒカル』製作告知
catwalk NEROの新作発表きましたね、『奴隷聖徒会長ヒカル』。今回も二次元とのタイアップですか。まあ、期待ということで。
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『プリンセスナイト カチュア』情報公開
わるきゅ〜れわざきた原画の新作ようやく来ました、『プリンセスナイト カチュア』。これも二次元で小説が載るということで、というか、もう出てるんですかね。
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『催眠術2』CG追加
BLACK RAINBOW新作『催眠術2』の情報が更新されています。烏賊コラムに、黒木雅弘がイラストとコメントをのっけてます。
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2007年06月10日
『催眠術2』CG公開
『催眠術2』(BLACKREAINBOW)のCGが公開されています。主人公なのか村越なのかよくわからない感じのCGですね。いい意味で。コラムでは主人公ということになってます。
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2007年06月03日
『魔法戦姫エンジェル☆ナナ』情報公開
TRUSTの新作『魔法戦姫エンジェル☆ナナ』の情報が公開されています。変身ヒロインモノですかね。というか、Triangleのアレにタイトルが似すぎなんですが。
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2007年06月02日
『籠の中の戦乙女』情報公開
Animの新作『籠の中の戦乙女』の情報が公開されています。廉価ソフトということですが、相川亜利砂原画、シャア専用○がシナリオということで、微妙に期待。
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2007年05月31日
『蠱惑の刻』情報公開
TinkerBellあおじる原画待望の新作発表きましたね、『蠱惑の刻』。やはり蟲は健在というか普通にあるんでしょうが、牛がやけにフィーチャーされているのが気になります。
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なぜ物語中毒者はageを嫌うのか
なぜか今頃話題になっているageの話ですが、まずは導入というかなんというかそういう感じでREVの日記の記事。
いや、自分でも整理できていないのだけど。『作品の強度』
を表す言葉がなんか無いかな、という話。
という話。
んーまあ、そもそも「強度」という用語というか術語の示す意味がいまいちよく分らないというのがありはしますね。ずーんとくる感じというかなんというか、批評家の都合に合わせて適当に意味の変わる意味不明なマジックワードというか。まあ、それならばそんなテキトーな用語は使わないのが誠実な態度だとか何とかありはするわけですが、それはそれとして考えてみましょう。
宮台の「意味から強度へ」ではないですが、「強度」というのは「意味」と対比して用いられたりします。論理的というか因果律的な意味合いを超えた説得力とかそういう感じ。大体、因果関係の整合性があったからといって、それがリアリティというかもっともらしさというかそういうのを担保するわけではないんですよね。むしろ、あらゆる事象が因果律的に説明できる作品というのはいかにも作り物っぽいというかとってつけたような感じがしてうそ臭い。いかにも説明臭い言い訳みたいなものです。
しかし、そのようなうそ臭さというかもっともらしさの問題というのは、構造主義的な読み方というか因果律的な筋書きを拾うような読み方では無視されてしまうわけですね。整合性があるからリアルだとか、破綻しているからリアルじゃないとかいう話になってしまう。まあ、そういう読み方で満足するならば、ぶっちゃけ粗筋をネットかどっかから拾ってくるだけで十分なわけです。
それならばということで、作品の筋立てには全然関係のない部分はどういう役割というか効果を持っているのか考えてみましょう。ここまでの議論の流れ的には、リアリティを維持するには因果関係が大事ではあるのだけれど、それが露骨に前面に出てしまうとうそ臭いので、ごまかすというか作り物臭さを薄める必要があるとか、そういう感じっぽい雰囲気です。ただ、そのような「作為を隠蔽する機能」というのが、今回の話題である「強度」とどういう関係があるのかというのはよく分らないというか、いかにも関係なさげ。というのも、「強度」というのは強さや濃密さを連想させる術語ですから、「物語の作り物臭さを薄める機能」を指す用語という感じはしません。
ロラン・バルトという有名なフランスの記号論者がいますけれど、彼は意味のない細部のもつ効果のことを「現実効果」と呼んでいます。さくっと引用してみましょう。
フローベールの晴時計、ミシュレの小さなドアは、最終的に、つぎのこと以外のことは何も告げていないのだ。すなわち、これが現実である、と。だが、そのとき意味されているのは、<<現実>>という範疇なのである(その偶発的な内容ではない)。言いかえれば、指向対象だけをあとに残す、記号内容の欠如そのものが、写実主義の記号表現そのものとなっているのだ。
物語の筋立ての進行に貢献しない表現というのは、粗筋において無意味であるゆえにこそ「現実」そのものを指し示すことになる、と。それならば、無意味な細部は因果関係の作り物臭さをごまかすものである、というよりもむしろ関係は逆なのではないかという話にもなるわけです。つまり、無意味な細部に現実を指し示させるために、その入れ物として因果関係が要請され、無意味な細部を詰め込むために筋立てが準備される。ここまでくると、完全に『悪徳の栄え』とかマルキ・ド・サドの世界ですね。ひたすらに繰り返される無神論哲学とリベルタンの饗宴。『ソドムの百二十日』になると物語の形式すら逸脱していくことになります。そして、このような傾向はサドに特有なものではなくて、百科全書的小説とかいいますけど、セルバンテスの『ドン・キホーテ』やラブレーの『ガルガンチュア』に始まって、フロベールの『ブヴァールとペキュシェ』、メルヴィルの『モービィ・ディック』、ジョイスの『ユリシーズ』さらにはピンチョンの『重力の虹』にまでいたる近現代の小説のひとつの重要な潮流として存在するわけです。
ここまで確認したところで、ようやくageの話です。というか、エロゲにおける私にとっての最重要機能 −特別に貴きエロゲ−とか何でそんなにアージュが嫌いなのか?とかの話。
エロゲの日常描写はうざいとかなんとかいうことはよくあります。私もつい最近、『聖なるかな』のADVパートがうざいとか書いたばかりです。エロゲー界隈でシナリオ重視とか言っているような人たちは、やけに「必然性」とかいうのが好きですけど、そういう物語至上主義というかあらすじ至上主義みたいな考え方は、先ほど概括した「近代小説的」な考え方とはまったく異なったものです。kaien氏のよくまとまった一節を引きましょう。
それは結局、パッケージとしての統一感のなさということに尽きると思うんです。例によってぼくは『君望』一作のことしか語れないわけですけれど、とにかくこの作品にはパッケージとしての「余剰」が多すぎる。
具体的にいえば、茜と遥の二股で終わる結末や、愛美に監禁されて終わる結末はいったい何のためにあるのかということですね。
この展開は作品の本筋とはまったく関係ないわけで、削っても何の問題もない。これはもう、ユーザーをいやな気分にさせるためだけにあるとしか思えない。
べつにきれいごとの純愛ものにしろといっているわけじゃなくて、作品全体を見たときにそのエピソードを組み込む必然性があるならば、どんな展開を用いてもらってもかまわない。でも、ぼくにはその必然性は感じられないですね。
だから、ぼくはどんなにきれい事の絵空事といわれようと、鍵とか型月とかのほうが好き。一切のきれい事抜きで凄惨な物語をつむぎ出しながらさいごには美しい結末へと導く『SWAN SONG』はもっと好き。
なんというか、ageの人はそういう「美しさ」が嫌いだからああいう風に作品を作るんだろうなぁ、という気はするんですよね、セルバンテスやフロベールがそうだったように。先ほどの「現実効果」の議論になぞらえるとすると、純愛から二股・マナマナまで詰め込むために、あの「本筋」を入れ物として作ったわけなのでしょう。だから、specificationとか何とかいって水月犬エンドをいれたり、ファンディスクで事故の起こらないシナリオを平然と作ったりするわけです。そういえば『螺旋回廊』にも何も事件の起こらないシナリオが入ってたりしましたし、今度の『マブラヴ』ファンディスクだっていろいろとアレな感じです。
ぶっちゃけた話、age嫌いの話というのは、物語/小説あるいはロマン主義/リアリズムの対立という古式ゆかしいというかおなじみの対立構造のエロゲ版といった感じです。TypeMoonやKeyがどちらかといえばロマン主義・物語寄りだとすると、ageは明らかにリアリズム・小説寄りという見立て。ペトロニウス氏は
僕は、いつも物語を読むときに、「あるべき物語の姿」ってのを思い浮かべます。なんというか、、、、ある世界があって、そこにある人格があって、、、そして、、、そこの「もう一つの世界」が立ち上がった瞬間に、ものごとは「かくあるべく」あるべきすがたに収束していく・・・・・
その「あるべきもの」が、「あるべきところにおさまる」のが、物語ってやつなんだと思います。
これは、物語の土台が、一貫性を持った思想で貫かれているからこそ起きる感情であって、、、、分岐の分まで、生理的に嫌悪も快楽すべて描いてしまっている「きみのぞ」の脚本構造ではありえない感情だと思う。本当は
ほとんど分岐はいらないのだと思う。
水月と遥だけで十分だと思うよ。
その可能性をすべて描いてしまうところに、品のなさというか、、、そういう部分を感じてしまうというのは理解できる。
と書いていますが、まあそのとおりですよね。物語愛好者にとっては、「本筋」を入れ物として扱うようなageのというか『君のぞ』の作風が我慢ができない。まあ、「その可能性をすべて描いてしまう」品のなさが小説的というか百科全書的というかそういう欲望というか快楽なんだと私なんかは思うわけですね。それは別にageが単に節操がないとかそういう話ではなくて、ペトロニウス氏風に言うと、ageの「思想」は一貫性というよりもバフチン的な多声性というか、雑多な物語を生成する場所を提示するというところにあるのです。さらにアレな話をすれば、そのような猥雑さの快楽というのは、最近のエロゲ界隈においては凌辱ゲー以外にはageぐらいにしか存在しないという摩訶不思議な状況が「気持ち悪い」というか勘弁してほしいというのが私の正直なところ。むしろ、そのようなエロゲ界隈の状況の偏りというか傾向がageの作品を「気持ち悪」くしているのではないかと。
2007年05月20日
『聖なるかな』体験版
『聖なるかな』(xuse)の体験版がきましたね。ついでに発売延期も。とりあえず体験版やった感想としては、ADVパートが非常にかったるそうです。
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2007年05月18日
『肛戒』情報公開
BLACK PACKAGE TRY新作『肛戒』の情報が公開されています。『肛』シリーズの新しい奴ですが、今回は天野雨乃ではないんですね。
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『王賊』体験版
ソフトハウスキャラ新作『王賊』体験版がきています。結構楽しみな感じですね。
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○んことくらそう
独り言以外の何かより、「1文字違いで萎える(ギャルゲー)」 のコメント。
「○んことくらそう」と書くと何だか放送禁止な感じに。
まあ、ありがちなネタですが、真っ先に「う」が思い浮かんだTRY信者は静かに挙手しましょう。無論、私はそれ以外思いもよりませんでしたが。
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2007年05月12日
『彗聖天使プリマヴェールZwei』情報更新
エスクード新作『彗聖天使プリマヴェールZwei』の情報が更新されています。前作とのつながりはないっぽい雰囲気ですが、とりあえず期待。
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なぜエロゲーには個性もオリジナリティもないのか
モノーキーの思い出せない。イメージに向かって邁進する姿勢は彫刻に似てる。という記事。
この文章を読んで「ギリシア時代だか昔の職人がイスを作る時に設計図を使わなくて頭の中のイスというイメージに向かってイスを作っている」みたいなweb上の文章を思い出したけれど、どこに書いてあったか思い出せない。
この元ネタは知りませんが、似たような話というか何というか。
トルコにオルハン・パムクという小説家がいます。2006年にノーベル文学賞をとった人ですね。その人の代表的な作品として、というか数少ない日本語に翻訳されている作品の一つとして『私の名は紅』という作品があります。舞台は16世紀から17世紀ぐらいのトルコ。優秀な細密画師が殺害され、その犯人を捜さなければならない、というのが基本的な筋立て。西洋から近代文化が流れ込んできて、大きく変動しようとする社会的な状況、その中でもこの作品ではミニアチュールというか芸術の状況が描かれています。
細密画というと、高校の世界史の資料集とかでしか見たことがない人がほとんどではないかと思いますが、この辺のサイトでも参照してください。遠近法とか全然ないのっぺりした、いかにも中世といった感じのやつですね。パムクは細密画と西洋風の近代絵画を比較してこういうことを書いています。
細密画というのは「神の見た世界」を書こうとするものです。個性とかいうのはただの欠陥であり、実物を見て正確にデッサンすることすらしない。というのも、実物というのは細密画師が見たものであって、「神」が見たものではないからです。人間なり動物なり作品に描かれる対象は、普通に実在する人間や動物ではなくて、「神の見た」人間なり動物であるわけで、普遍的なイデアであるべきものです。先人の描いた美しい細密画を模倣し、「神の視点」から物事を描こうとする行為を積み重ねることによって、「神の視点」に忠実に絵が描けるようになる、という芸術観。非常に典型的な一節を引きます。
確かにわたしは盲目です。しかしこの十一年間挿絵を描いた写本の美しさの全てを、全ての線を、全ての筆運びを記憶しています。見ないでも、手が全てをそらで描くことができます。殿、あなた様にこれまでで一番美しい写本を描くことができます。なぜなら目がもうこの世の穢れに惑わされることがないので、アラーの神の全ての栄光を記憶からもっとも純粋な形で描くことができるからです
一方で、近代絵画は「人間の見た世界」を描こうとするものです。遠近法というのが非常に典型的ですが、ようするに、視点人物の存在が前提とされているわけです。そのため、絵に描かれる人間なり事物なりはただ一つしかないユニークでオリジナルなものであり、そこには世界を遠近法的に見る人間=画家がいる、と。細密画的な世界は「神」の見た世界ですから、特定の視点から物事を見たりはしないわけですよ。神はどこにでもあまねく存在してあらゆるものを知っているということになっているわけですから。遠くのものが小さく見えたり物事が陰に隠れて見えなかったりもしない。全てが同じようにありのままに見える。そのため、細密画の立場からすると遠近法なんかは論外というかありえない方法です。
「神の視点」から見ると、あらゆる物事ははっきりとした区分を持つ確固とした存在です。繰り返しますが、神はあらゆるもののありのままの形を知っているわけですから、全てのものははっきりと理解されたものである、と。一方で、「人間の視点」からみると、あらゆる物事は曖昧で無定形なものに見えます。同じものでも場所や時間や見ている人の気分によっては全然違うように見え、というか幽霊とかUFOみたいにも見えるわけです。そして当たり前のように、人によって物事はまったく違うように見える。そのような曖昧でよく分らないものであることを前提として世界を描こうとするのが近代絵画というわけです。
ここには不思議な逆説があります。常識的というか普通に考えると、物事がはっきりした存在として見えるからこそ、その中に個性なりオリジナリティなりを見出すという話になるわけです。しかし、上記の議論ではそのようになりません。世界を普遍的な視点から見ると、物事は確固とした存在として見えるけれども、個性もオリジナリティもない。一方で、世界を特定の視点から見ると、物事は曖昧模糊としているけれども、ユニークでオリジナルなものに見える。また、ぶっちゃけた話、現代を生きる私などから見ると、近代絵画よりもミニアチュールの方が普通に曖昧模糊に見えるわけですね。この辺は、完全に近代絵画的な世界が前提としてある中を生きているからという話であるわけでしょうけれど。
細密画と近代絵画の違いというのは、その作品において描かれるのが誰の見た世界であるのかというところにあります。細密画は「神」の見た世界を描き、近代絵画は「人間」の見た世界を描く。誰の視点から描くのかによって、作品はまったく変わるわけです。これはもちろん絵画のみに適用されることではなくて、小説やエロゲーなど他の芸術ジャンルでも同じことがいえるでしょう。
エロゲーが描くのは「エロゲヲタから見た」世界というよりもむしろ、「エロゲヲタの妄想した」世界といった感じがしますが、エロゲもあらゆるエンタテイメントがそうであるように、消費者を想定した上で作られているわけです、おそらく。どちらにしても、視点は「人間」のものであるのは近代絵画なんかと同じでしょう。しかし、そのような消費者志向というかエンタテイメント志向の作品というのは、近代的な「人間の見た世界」を描く作品よりもむしろ、「神の見た世界」を描く作品に近いところがある気がするのも確かです。
エロゲーの判子絵師は「神の視点」から描いているから全てが判子に見えるのだとか何とかというのは与太話ですが、消費者を視点に想定するということは、その消費者の視点というのが作り手にとって明らかであるという前提があるわけです。当たり前ですが、そのような前提なしに、消費者の視点も糞もないわけですから。これは確かに、細密画師が神の視点を想定して描いているという構図と類似しています。消費者の視点も神の視点も想定されたものでしかないがゆえにこそ、全能の視点となる。近代絵画における「人間の視点」というのは画家の視点なわけです、大体は。一方で、エロゲーにおける「人間の視点」というのは創作者の視点ではなく消費者であるところの「エロゲーヲタ」の視点です。先ほど引用した細密画師の台詞をエロゲンガーの台詞として書き換えてみても、さほど違和感はないのではないでしょうか。
確かにわたしは盲目です。しかしこの十一年間CGを描いたエロゲーの美しさの全てを、全ての線を、全ての筆運びを記憶しています。見ないでも、手が全てをそらで描くことができます。殿、あなた様にこれまでで一番美しいエロゲーを描くことができます。なぜなら目がもうこの世の穢れに惑わされることがないので、エロゲヲタの妄想の全ての栄光を記憶からもっとも純粋な形で描くことができるからです
要するに、エロゲーヲタは細密画師における神である、と。そう考えると、エロゲーのヒロインなり物語なりが記号的で無個性であるというよくある指摘も納得ができるわけです。上述したように、「神の視点」から見ると個性もオリジナリティもないわけですから。まあ、エロゲヲタは神のような普遍的な存在としては想定されないので、想定されるエロゲヲタ像は人によっても時代によっても異なります。そのため、創作も理想のエロゲヲタの妄想のイデアに近づいていくというよりもむしろ、その時々のエロゲヲタ像に合わせて変化するわけです。
最後にまとめましょう。細密画と近代絵画の違いは誰の見た世界を描くかによって異なります。細密画は「神の見た世界」を描き、近代絵画は「人間の見た世界」を描く。細密画は個性もオリジナリティもない普遍的な世界を描き、近代絵画は個性もオリジナリティもある曖昧で不定形な世界を描く。一方で、現代のエロゲーをはじめとするエンタテイメントは「人間の見た世界」を描いているにもかかわらず、その人間を消費者として想定することで、細密画における神のように扱っている。そのため、そこでは個性もオリジナリティも消滅し、作品はその時々の消費者像によって変化するだけである、ということになります。
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2007年05月06日
『魔が堕ちる夜』レビューアップ
『魔が堕ちる夜』レビューアップしました。GWは積みゲを崩す予定だったんですが、色々あってそれほど進みませんでした。今はブラパのやつをやってます。
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2007年05月01日
『悪鎖』情報更新
sukaradog新作『悪鎖』情報が更新されています。マスコットキャラが微妙すぎですが、シナリオは嘘屋佐々木ということで注目。
『触区』デモ公開
Lusterise新作『触区』のデモが来ています。とりあえず今のところ不安材料がまったくないのが逆に怪しいぐらいですね。
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批評の快楽、あるいは小説の歓喜を無限に味わうために
なんかごく一部の界隈ではお約束の「批評」にまつわる議論が喧しいわけですが、関係のありそうでなさそうなことでも書いておきます。
いわゆるナラトロジーの代表的な理論家にジェラール・ジュネットという人がいます。プルーストの小説を素材として使った『物語のディスクール』という本が有名ですね。何か、普通に読むと作品の語り方というか、ジュネット風にいうとディスクールを分類して分析しているという教科書っぽい雰囲気の本なんですが、そのような分析的な方法によって、プルーストの物語り方の独自性というか、もっとはっきりと書くと『失われた時』の異様さがあぶりだされてくるという作りになっていて、そこら辺の出来の悪い推理小説よりも全然スリリングで面白い。
んで、そのジュネットは文学理論には2種類あるんだ、ということをいっています。一つ目は、対象となる作品のユニークさ・オリジナリティを論証しようとする「批評」で、もう一つは、個々の作品を分析することによって文学の普遍的な法則を探求しようとする「詩学」です。
「批評」というのは、まあ普通というかよくあるやつですね。たとえば、『螺旋回廊』はまだアンダーグラウンドな感じが強かった頃のインターネットを素材とすることで、他の凌辱ゲームには見られないほど犯罪的・背徳的な作品に仕上がっているとか、そういうの。もう一方の「詩学」というのは、まあ当然のごとくアリストテレス由来の用語ですが、ヒロインを殺すと簡単に感動させることが出来るとか、外面はツンツンしているのに二人っきりになるとデレるキャラは萌えるとか、そういうのです。
ジュネットはナラトロジーというのは物語の「詩学」であるとかいうわけですが、その代表的な成果である『物語のディスクール』がそうであるように、一般的法則を導き出そうとすることによって、対象となる作品の特異性がむしろ強く暴き出されるというのはあるのでしょう。まあ、法則を整えればそれだけ逸脱している部分が目に付くという感じでしょうか。ジュネットは『物語の詩学』のあとがきにおいて、理論を整えることによって「詩学は、その(いまだ書かれていない作品の:引用者注)潜在的可能性を、とりわけその探索の一般性によって発見しかつ指し示す」とか書いています。何というか、理論的には存在してもおかしくない作品とかなんとか、理論物理学者かよ、みたいな感じですが、ジュネット熱血すぎです。もう一節『物語の詩学』から引きます。
批評家たちは、いままで、文学を解釈することしかしてこなかった。いまや、文学を変革することが問題なのである。これはたしかに、詩学研究者だけの仕事ではない。実際、そこにおいて彼らの果たしうる役割など、おそらくはたかの知れたものにすぎないだろう。けれども、それが実践を創出することに役立たないとしたら、理論などというものに、いったいどんな値打ちがあるだろうか?
私はジュネットほど熱血ではないので、小説なりエロゲなりをより面白く読むために、知っていると便利なことがないわけでもないとかそういう感じです。まあ、一つの作品でも読み方によって全然違う側面を見せることがあるということを知るだけでも、十分面白いのではないでしょうかね。
「この物語に主題を見出さんとする者は告訴さるべし。そこに教訓を見出さんとする者は追放さるべし。そこに筋書を見出さんとする者は射殺さるべし」というのは『ハックルベリーフィン』の冒頭に掲げられたあまりにも有名な一節ですが、この『ハックルベリーフィン』こそがアメリカ文学最高傑作のひとつとしてマーク・トウェインの中ではおそらく最も批評家受けのいい作品であるというのは、どういうことを意味しているのか。答えなんか当然ないわけですが、「小説の歓喜を無限に味わうために 次の小説のために次の次の小説のために」というやつじゃないですかね、『ヘルシング』の某デブ少佐風にいえば。
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Google,Yahoo,MSNで「パラダイム」と検索すると
googleがエロゲに汚染されているとかなんとか言いますが、「パラダイム」でgoogle、yahoo、msnを検索するとエロゲーノベライズで有名なところが一番に出てきます……google、Yahoo、MSN。クーンもびっくりというか、少なくとも私はかなりびっくりというか唖然としました。
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2007年04月29日
『魔法少女アイ3』製作告知
なんか、アイのアニメを作ってたところで『魔法少女アイ3』の製作告知がなされています。colorsももういつつぶれるのかとかそんな感じでしたが、権利譲渡ということで、黒木氏原画で製作中とのことです。思っていたほど感慨がないというか何というか、まあ一年ぐらい前ならだいぶ印象が違ったんでしょうが。
悪女が主人公で活躍するエロゲー
kagami氏が『悪徳の栄え』の感想で悪女が主人公で活躍するエロゲーが思い浮かばないと書いているので、女性ヒロインのゲーム自体ろくにないのだから当たり前だろうとか思いつつ、考えてみました。
まあ、普通に悪女が活躍するエロゲーというだけならば、それなりにありますね。RaSeNの『傷モノ』シリーズには必ずといっていいほど出てきます。最新作『傷モノの学園III』に出てくる皐月は歴代でも最悪の悪党というか基地外。また、最近復刻版が発売された『螺旋回廊2』には神無木頼子がいますね。まあ、ふたなりですが。あとは、変身ヒロインモノなんかでも悪の女幹部というのは定番。『エスカレイヤー』のミストレーヌとか色々。
んで、悪女が主人公のエロゲーということですが、やはりこれは全然ありませんね。大体、エロゲーの主人公は凌辱する男か凌辱される女という風に決まってますから、なかなか悪女主人公というのはありません。とりあえず思いついたのは、BlackCycの『闇の声』ですかね。あとは、RaSeNの『輪[妹]姦』なんかも一応視点人物は姉のほうなので、悪女主人公かと。あるいは、Aliceの『アトラク=ナクア』。初音は普通に悪人でしょう。
最後に、元の記事の本題である『悪徳の栄え』について。ジュリエットももちろんいい感じですが、私はノアルスイユが一番ですかね。
2007年04月14日
『陵辱マニアックス』に洋ナシがあるらしい
前作の『肛内浸襲』が色々とアレだったA.S.Sの新作『陵辱マニアックス』にはどうも洋ナシがあるらしいですね。廉価ソフトなのでとりあえず購入してみます。
Lilith新作の原画がTANAである件について
何かぼけーっと見てたんですが、Lilithの新作『シオン〜残酷な魔法の天使〜』の原画が我流痴帯のTANA氏です。サイトを見た限りではそんなにアレっぽくなさそうですが、まあ期待ということで。
2007年04月10日
『今日のおかず ルビーストライカー』情報公開
じぃすぽっとのウェブサイトで『今日のおかず ルビーストライカー』の情報が公開されています。最近ありがちな廉価ソフトなんですが、元RaSeNで『魔法天使』シリーズをかいていたassaultがシナリオ担当ということで、微妙に注目。
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2007年04月07日
RaSeN解散
RaSeNが解散しました。解散といっても、ネクストン系列から抜けて独立するという話。次の作品は『姫巫女』の続編ということらしいですが、いつごろになるかは神のみぞ知る、ということで。
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エロゲーでも不可能?
しかしこのイヤホンを使ってると「耳穴陵辱」「耳穴拡張」「耳穴奴隷」という言葉ばかりが思い浮かんでしまう……エロゲ脳なのかなぁ。(ヒント:エロゲでも無理)
うちのサイトに来る人なら普通に知っていると思いますが、「耳穴凌辱」は『魔法少女アイ2』にありますね。ついでに「鼻」は『EXTRAVAGANZA』に、「眼」は『PIGEON BLOOD』に、「臍」は『淫妖蟲』にあります。
2007年03月21日
ALICESOFT、変身ヒロインモノ新作作成告知
ALICESOFTのウェブサイトにおいて、変身ヒロインモノ新作の告知がなされています。エスカレイヤーが2002年でしたから、もう5年経つんですね……今回も原画はおにぎりくんということで、嫌が応にも期待が高まります。
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2007年03月18日
『傷モノの学園3 』進行中
大体3分の2ぐらいは終わった感じです、『傷モノの学園3』(RaSeN)。内容的にはアイスピックも消火器もあるいかにも『傷モノの学園』といった感じの作品ですかね。どのキャラも意外と普通ではありますが、皐月だけ明らかにやばいです。
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『螺旋回廊 復刻版』発売延期
追加要素なしにも関わらず『螺旋回廊 復刻版』(ruf)発売延期です。新パッケージ絵が公開されていますが、微妙……
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2007年03月08日
エロゲーメーカーが大量倒産しているという話
「業界」倒産情報 という記事。みりすも逝きましたし、こんなにバタバタ倒れるのは珍しいというか、今までなかったんじゃないでしょうか。
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エロゲー主人公の作り方
cogni氏が『CLANNAD』のプレイ日記に、
「物語から主人公が疎外されており、ヒロインの物語を読む」などと言及され、その構造が特異とされる昨今のギャルゲーの物語に関しては、本当にそうした「主人公=語り手の物語からの疎外」が歴史的に見て特異なのだろうかと、言い換えるならば、私小説などが始まった頃あたりから語り手は不可避的に物語に関与するようになったものの語り手とは本来的に物語に関与できない存在としてあったのではないだろうか、という、系譜に関する疑問・仮説すら頭を擡げる
といったことを書いているので、そのへんの話を枕にしつつ「語り」の問題について。
単刀直入にいくと、「語り手とは本来的に物語に関与できない存在としてあったのではないだろうか」というcogni氏の仮説は無理筋だろうという気はしますね。ギリシャ悲劇には、アイスキュロスの『縛られたプロメテウス』のプロメテウスみたいな、自分の経歴を延々と語る英雄とか普通に出てきます。あるいは、いかにも「神の視点」から物語ってるっぽいホメロスの『オデュッセイア』においても、オデュッセウスが自らの経験した話として、キュクロプスについて語って聞かせる場面が挿入される。もう少し時代は下りますが、ペトロニウスの『サテュリコン』というネロがハッスルしていた時代の小説は、普通に語り手=主人公の一人称で書かれています。
だいぶ最近の話をすると、『ガルガンチュア』とか『ドン・キホーテ』みたいな17世紀ぐらいまでの小説は、三人称のものが多いですが、18世紀になると『新エロイーズ』や『クラリッサ』を典型とする書簡体小説や『ロビンソン・クルーソー』や『トリストラム・シャンディ』みたいな語り手=主人公の一人称小説が主流になるというか、無茶苦茶流行ります。近代小説において、語り手を排する形式が戻ってくるのは19世紀になってからじゃないですかね。ジェイン・オースティンが18世紀末で、『ボヴァリー夫人』が出るのが19世紀の半ばぐらい。20世紀になると周知のとおり、『失われた時を求めて』とか『ユリシーズ』の時代になるわけです。
んで、エロゲーの話。もちろん、エロゲーにも普通に三人称の作品というのは存在します。有名なのは『ランス』シリーズですね。うちのサイトで取り上げるような作品でいくと、RaSeNの『魔法天使』シリーズなんかもそうです。ただ、エロゲーにおいて圧倒的に多いのは主人公による語りであるのもまあ事実。
主人公による語りといっても色々とあって、『逸脱』の主人公のようないかにも近代的というか意識的な語り手もいれば、cogni氏が話題にしている「物語から疎外されている」主人公とかいうのもいるわけです。実際のところ、確かにあんまりちゃんと主人公していない語り手というのは珍しくありません。『神曲』のダンテとか、『モービィ・ディック』のイシュメールとか、もちろん『シャーロックホームズ』のワトソンとか、脇役というか、出来事が起こるのを脇で見ている語り手というのは結構います。考えてみれば、ロビンソン・クルーソーにせよガリバーにせよ、自分に起こった出来事をリアルタイムに記述しているのではなくて、後年になって回想しているわけです。なんというか、時間的にせよ空間的にせよ、物語からある程度「距離」があると物語りやすいというのはあるわけなんでしょう。
19世紀の末ごろに、ヘンリー・ジェイムズという作家が"Show, don't tell"ということを書いています。tellingというのは、先ほど述べたような「距離」をとって物語る書き方のこと。showingとはその逆で、出来事をリアルタイムな感じで物語ること。ヘンリー・ジェイムズは、小説はtellingよりもshowingでいくべきだ、とか言ってる、と。んで、そのへんから、いわゆる「意識の流れ」みたいな、「本人は語っているつもりのない語り手」が出てくるわけです。
私としては、エロゲー的な「物語から疎外されている」主人公というのは、イシュメールみたいなタイプというよりもむしろ、ダロウェイ夫人みたいなタイプの語り手なのではないかという気がします。ぶっちゃけた書き方をすると、ちゃんと主人公をしていないのではなくて、ちゃんと語り手をしていないのだろう、という話。
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2007年03月04日
『傷モノの学園3』マスターアップ
発売日にちゃんと出るのかかなり疑わしかった『傷モノの学園3』(RaSeN)がマスターアップしました。内容的にはアイスピックとか期待ということで。
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2007年01月27日
『凌辱ゲリラ狩り3』開始
『戦国ランス』全国版のせいで思いっきり他のエロゲーが滞ってますが、今週は『凌辱ゲリラ狩り3』(Liquid)を買ってきました。とりあえずぼちぼち始めてはいますが、ゲリラでもなんでもないとか、展開すっ飛ばしすぎとか微妙。
『螺旋回廊復刻版』製作告知
rufのウェブサイトで『螺旋回廊復刻版』の製作が告知されています。『アノニマス』が予想外に売れたとか何とかあるんでしょうか。追加シナリオとかはないでしょうが、XPとVistaに対応予定ということで、ageも製作に関わってたりはするんでしょうか。『螺旋回廊』はXPではなんだかんだで不安定だったので、楽しみではあります。
2007年01月21日
『魔法戦士シンフォニックナイツ』情報更新
Triangleの魔法戦士シリーズ新作の情報がきてますね、『魔法戦士シンフォニックナイツ』。メッツァー様も元気そうで何より。というか、ヒロイン陣がまんまスイートナイツ……
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『魔法少女ナユタ』デモ公開
何かタイミングとか色々あってうちのサイトでは今まで情報を取り上げたことがありませんでしたが、『魔法少女ナユタ』(ぴんくはてな)のデモムービーが公開されています。テキストがいかにもアレっぽそうとかいうのもあるんですが、確かこれ、達磨のCGがどっかで公開されていたので、少し注目。
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2007年01月15日
エロゲーヒロインは「こっち見んな」とはいわない
何か最近古井由吉の『杳子』を読んでたんですが、これ、やけにエロゲーっぽい作品です。
さくっと内容を要約すると、不思議ちゃんのヒロインとだらだらセックスしたりする男の話。ヒロインの杳子はいかにも鍵ゲーとかに出てきそうな、頭がかなりアレな女の子で、主人公はその心の病を治そうとかやっぱり治さないとか考えつつ、彼女とつきあっていく。何事にも過敏な杳子の様子は非常に奇異な感じもするわけですが、その一方でほとんどあからさまに「無邪気で魅力的」に描かれた彼女の様子と、その姿を半ば観察するようにしながら、徐々にその安定した立場を揺るがされていく主人公が面白い。
あたしを観察しているのね、あなた。勝手になさい。だけど、あなたがあたしを観察すると、あたしも自然にあなたを観察することになるのよ。どちらかだけということはないのだから……。
「萌え」られる女の絶望についてで引いた駒子の一言もそうですが、エロゲーヒロインに欠けているというか見出されないのはこういう部分なんですよね。一連の「萌え」をめぐる議論において、私は「萌え」とは一方的に女を鑑賞することであるという仮説というか見立てをしてきました。しかし、実際に一方的に鑑賞しようとすると普通は「こっち見んな」といわれてしまうわけですね。当たり前すぎる話ですが、一方的に女を鑑賞することはできない。
それならば、なぜエロゲーヒロインは「こっち見んな」とはいわないのか、というのがとりあえず問題になります。「こっち見んな」といわれたら一方的に鑑賞する立場が崩れてしまうからだという同語反復的な考え方もありますが、ここではもう少し突っ込んで考えてみましょう。注意すべきポイントは、「誰」がヒロインを鑑賞しているのか、といったあたりでしょうね。
『雪国』においても『杳子』においても、ヒロインを鑑賞しているのは主人公自身です。作品に登場する主人公が、作品に登場するヒロインを鑑賞する。だから、ヒロインは自分を鑑賞している主人公に対して、「こっち見んな」ということができます。
しかし、エロゲー、正確には「萌え」ゲーの主人公は、ヒロインを一方的に鑑賞したりするでしょうか。まあ、普通はしないですよね。考えてみれば、「萌え」とは一方的に女を鑑賞することであるとか書く際に、鑑賞する主体として想定していたのは主人公というよりもむしろプレイヤーだったわけです。観察する主体が作品内にいないのだから、ヒロインは「こっち見んな」ということが原理的に不可能、もちろんメタフィクションでなければという注釈はつきますが。
エロゲーの語り手、というか主人公の立ち位置というのはなかなか微妙なんですよね。というか、エロゲー主人公は基本的に語る主体としての機能を果たしていません。たとえば、ヒロインやら登場人物の心理は、ほとんど主人公による解釈を通されぬまま立ち絵やらセリフから伝えられます。物語を構成したり、登場人物の心理を語るという普通の語り手としての機能は、紙芝居とか選択肢とかのシステムに組み入れられており、実際のところ、主人公はモノローグによって形式的に語り手の振りをさせられているようなものです。
普通は、そうすることによって主人公に感情移入することが容易になるとか何とかいうわけですが、その一方で、ただ読んだり見たりする状態のプレイヤーは、「行動する主人公」よりも「解釈し語る主人公」に立場的に近いわけです。主人公がろくに観察しないのにもかかわらず観察の結果のみが与えられることによって、「観察する主体」という立場は主人公から切り離され、プレイヤーの元のみに残されることになる、と。そうして、一方的に鑑賞するという立場の出来上がり。
とりあえず最後にまとめておきましょう。普通、一方的に誰かを鑑賞しようとすると、「こっち見んな」とか「ストーカー氏ね」とかいわれるわけですが、エロゲーにおいては語り手を機能不全にすることによって、一方的に鑑賞する立場がプレイヤーに担保されることになります。まあ、一方的に鑑賞し続ける限り、ヒロインから次のような声を投げかけられることもまたないわけです。最後にまた『杳子』から引用して締めということで。
あなたには、わたしのほうを向くとき、いつでもすこし途方に暮れたようなところがある。自分自身からすこし後へさがって、なんとなく稀薄な、その分だけやさしい感じになって、こっちを見ている。それから急にまとわりついてくる。それでいて中に押し入って来ないで、ただ肌だけ触れ合って、じっとしている……。いつも同じだけど、普通の人みたいに、どぎつい繰り返しじゃない
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2007年01月06日
『エーデルヴァイス』進行中
『戦国ランス』にかまけて放置していた『エーデルヴァイス』(inspire)進行中、というか、もうすぐ終わりそうな雰囲気。今回は『femme fatale』と比べると何か中途半端な感じがしますね。ボリュームが少ないのは相変わらずとして。
とりあえず、確保済みのこいつと『魔ヲ受胎セシ処女ノ苦悦』、あとは例のたっちーの同人の奴ぐらいをプレイした後で、2006年の総評は書こうと思います。年末は尻すぼみというか、アレな感じでしたね……
2006年12月29日
『アノニマス』コンプ
何か、あっという間に終わってしまった『アノニマス』(mirage)。CGが少ないぐらいならともかく、選択肢を変えてもマルチアングルのシナリオが変化しないとか、本当にすさまじいぐらいの手抜き具合ですね。評価すべき点はこの作品に『螺旋回廊』というタイトルが与えられていないということぐらいです。
とりあえず、明日『戦国ランス』とこいつのレビューを書いて今年の更新を締めくくることにします。
2006年12月25日
『戦国ランス』一通り終了
ここ一週間は平均睡眠時間3時間程度でしたが、ようやく正史・謙信・蘭・五十六ルート終わりました、『戦国ランス』(ALICESOFT)。プチ鬼畜王というかなんというか、とりあえず今日は生存報告だけしておきます。
2006年12月15日
『アノニマス』体験版
とうとう体験版まで出てしまいました、『アノニマス』(mirage)。それで、プレイしたわけですが、実写背景はびっくりしましたが、やはりすばらしいですね、これは。後半は本当にヤバいです。
ついでに、今週分はとりあえず『戦国ランス』(ALICESOFT)確保済みです。今日は『アノニマス』で忙しかったので、プレイは明日以降ということで。



